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2009年 08月 20日
★絵巻水滸伝美女図鑑(15)
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            楽大娘子(楽娟)(がくだいじょうし、がくけん)

“病尉遅”孫立の妻で、“鉄叫子”楽和の姉。おっとりとした人柄だが、登州牢破り事件や、一族揃っての梁山泊入りなどにも動揺を見せることはない。弟の楽和も怜悧でどこか浮き世離れしており、あるいは楽家の血筋なのかもしれない。孫立との間に、一人娘の露華がいる。

by suiko108blog | 2009-08-20 02:18 | 絵巻水滸伝人物名鑑【その他】 | Comments(0)
2009年 08月 19日
★梁山泊の108人 其之五十
★歩兵軍将校
十七名いる歩兵を率いる頭領たちです。少数の兵で遊撃部隊的な働きを担うことが多く、敵の城市などへ潜入し、攪乱や煽動を行うこともあります。

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85★地伏星“金眼彪”施恩
(ちふくせい きんがんひょう しおん)




あだ名は“金眼彪”。「彪」とは、虎の子の中に必ず一匹まじっているという獰猛な子虎のこと。金色の目を持ち、その目には“人には見えないものが見える”という。戦闘時にも衣装に凝るしゃれ者でもある。
もとは孟州牢城の典獄の御曹司で、ひととおりの武芸は修めたが、武芸よりは商才に長け、交易場の快活林を仕切って月に二三百両の冥加金を稼いでいた。しかし、新参の無頼漢に叩きのめされ、縄張りを奪われてしまう。そこへ流罪となって来たのが、虎殺しの武松であった。施恩は武松を厚遇し、快活林をめぐる抗争の助太刀を頼む。ところが、縄張りは取り返したものの、武松が中秋の鴛鴦楼において土地の軍官を一家皆殺しにしたために、一緒に故郷を出奔することになってしまう。二竜山へ、梁山泊へと、施恩はどこまでも武松についていく。

by suiko108blog | 2009-08-19 03:25 | 絵巻水滸伝人物名鑑【梁山泊】 | Comments(0)
2009年 08月 18日
★絵巻水滸伝美女図鑑(14)
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               崔淑卿(さいしゅくけい)

“小李広”花栄の妻。実家は武官の家柄で、幼い頃から武芸に親しんでいた。聡明な良妻賢母であり、自由な花栄、お転婆な義妹の宝燕にも振り回されることなく、よく花家を切り盛りしている。花栄との間に一人息子の望春がいる。

by suiko108blog | 2009-08-18 04:11 | 絵巻水滸伝人物名鑑【その他】 | Comments(0)
2009年 08月 17日
★梁山泊の108人 其之四十九
★歩兵軍将校
十七名いる歩兵を率いる頭領たちです。少数の兵で遊撃部隊的な働きを担うことが多く、敵の城市などへ潜入し、攪乱や煽動を行うこともあります。

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84★地幽星“病大虫”薛永
(ちゆうせい びょうだいちゅう せつえい)




あだ名は“病大虫”、すなわち「黄色い顔の虎」。「大虫」とは虎のこと、「病」とは顔色が悪く、肌が黄味がかっていることを云う。傍らにはいつも愛犬“太白”が従っている。
もとは洛陽にある名門の武家に生まれたが、祖父の代に没落したため、武芸を見せながら家伝の膏薬を売る大道芸人に落ちぶれた。育ちが良いため真面目で礼儀正しいが、江湖のしきたりには通じていない。掲陽鎮で商売を始める際には、顔役の“小遮ラン”穆春に挨拶をせず、因縁をつけられてしまう。それが縁で宋江と知己を得、宋江が捕らえられると“没遮ラン”穆弘らと救出に向かい、白竜廟にて梁山泊軍に合流した。槍棒のほかに拳法も使え、なかなかの腕前である。

by suiko108blog | 2009-08-17 02:08 | 絵巻水滸伝人物名鑑【梁山泊】 | Comments(0)
2009年 08月 16日
☆「絵巻水滸伝」官軍名鑑・百官有司編(五)
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☆張叔夜
(ちょうしゅくや)


済州の知府。清廉な人物として名高く、文武にも優れ、そのため梁山泊も済州を侵すことはなかった。蔡京と対立する宿元景ら“清流派”に属し、梁山泊招安のために一役買う。

※張叔夜は実在の人物です。若くして兵学を好み、要職を歴任しながら数々の軍功を挙げました。科挙出身ではなく、恩蔭(先祖の功績によって子弟が官に就く)の制度によって官僚となりましたが、後に科挙出身の資格をもらっています。
武にも優れ、遼に使者として赴いた時は、見事な弓の腕前を見せて契丹人を驚かせました。彼が海州(現在の連雲港市周辺)の知府となった時に、(実在の)宋江の乱が起こります。近隣を荒し回る(実在の)宋江率いる賊軍の勢いは凄まじく、官軍には全く手に負えない状況でした。
そこで、張叔夜は一計を案じます。まず間者を出して、賊軍の動向を調べさせました。(実在の)宋江らは沿海部を略奪し、十余叟の大船に戦利品を満載していました。そこで、張叔夜は軽騎をもって賊徒を戦に誘い出し、海辺から引き離すと、海岸に隠していた伏兵をもって賊の船を焼き払ったのです。それを知った賊は戦意を失い、ついに投降することになります。

by suiko108blog | 2009-08-16 01:15 | 絵巻水滸伝人物名鑑【官軍】 | Comments(0)
2009年 08月 15日
『絵巻水滸伝/第79回「梁山燃ゆ・後篇」』公開中!
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  山東済州の内に一つの水郷あり。
  四方およそ八百余里にして、山は巨浪を排し、水は遙天に接す。
  乱蘆は万隊の刀鎗をあつめ、怪樹は千層の剣戟を列ぬ。

──梁山、燃ゆ。

 神は叫び、鬼は哭く!
 「戦え!」
 山は歌い、星は踊る!
 「戦え!」
 地は震え、天は笑う!

──梁山、燃ゆ。
 長き戦いに曙光がさすとき、梁山は最後の日を迎える──。


『絵巻水滸伝/第79回「梁山燃ゆ・後篇」』公開中! キノトロープ/絵巻水滸伝

by suiko108blog | 2009-08-15 02:44 | 絵巻水滸伝 | Comments(0)
2009年 08月 14日
★絵巻水滸伝美女図鑑(13)
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               劉貴妃(りゅうきひ)

微賤の出身だが、楊センの後援によって宮中に入り、慕容貴妃が失脚すると貴妃となった。美貌であるだけでなく、機転がきき、人の意をよくくむために天子の寵愛を受けた。
繊細な芸術家であった“浪子皇帝”は、李師師といい慕容貴妃といい、頭がよくて政治的才覚もある、自我の強い美女たちを好んだのだろうか。

by suiko108blog | 2009-08-14 03:33 | 絵巻水滸伝人物名鑑【その他】 | Comments(0)
2009年 08月 13日
張順と張順(三)
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          『張順の物語』(其の三)


 決死隊は火箭や弩で元軍の攻撃を防ぎ、また河面にめぐらされた鎖を断ち切りながら、ひたすら襄陽を目指して河を下った。
 その中で、張順が体に四槍六箭を受けて戦死。流れに沈んだ。
 果てしなく思われる戦いのすえ、波の彼方に襄陽の城壁が見えたのは、すでに夜が明けようとする頃だった。
 翌日未明、張貴は生き残った男たちを率いて、襄陽の城下に至った。長く補給を受けていなかった城内の軍民の歓呼の中を、入城した。
 数日後、戦死した張順の遺体が川面に浮かび、襄陽に流れ着いた。その顔色はまるで生きているかのようで、人々は涙を禁じえなかったという。呂文煥(注;襄陽の守将)は張順の遺体を清めさせ、塚を築き、廟を建てて祀った。
 張貴は、再び出撃しようとしたが、呂文煥に止められ、そのまま襄陽に止まった。しかし、九月に入ると、張貴はテイ州に戻ろうと考え始めた。
 彼らが入城して以来、元軍の包囲はますます厳重になっている。張貴は数日も水中に潜っていることのできる男を選んで蝋に封じた密書を持たせ、テイ州の范文虎に敵を挟撃するべく援軍の出兵を要請した。
 張貴らは闇に紛れて襄陽を出ると、敵の真っ只中に漕ぎ出した。
 モンゴル軍は、その暴挙に驚き、たじろいだ。
 すぐにアジュ(注;元軍の将)と劉整(注;元に降った元南宋の将)が邀撃に出た。
 張貴は漢水の流れにそって下り、小新城で元の大軍と衝突した。沿岸にはかがり火がずらりと灯され、辺りは真昼のように明るかった。戦いながら竜尾州まで進んだ時、張貴は彼方に一群の戦艦を見つけた。
 援軍だ、と花火を上げて合図した。
 しかし、それも敵だった。
 頼みとする援軍は、一旦は出撃したものの、怖じ気づき、遙か彼方に後退していた。
 命懸けで襄陽に補給を行った彼らは、臆病者の范文虎に裏切られ、見殺しにされたのだった。
 張貴の軍は、奮戦むなしく全滅した。
 張貴は身体中に数十創を受けて捕らえられ、降伏を迫られた。
 それを頑にこばみ、張貴は殺され、その遺体は襄陽へと送られた。
「“矮張”を知っているか? これがそうだ!!」
 使者が示した遺体を見て、襄陽を人々はみな哭いた。
 呂文煥は使者を斬り、張貴を張順の廟に合葬した。
 孤立した襄陽にとって、二人の張の活躍は、希望の象徴だった。その二人の死に、城内には急速に絶望の気配が深まっていった──。


 南宋が滅びるのは、それから四年後のことです。
 実在の張順については、これ以上のことは分かりません。
 しかし、国家の存亡をかけて戦った多くの“水の申し子”たち、歴史の一頁を“波間の白魚”のごとく駆け抜けていった男たちの記憶は、張順、そして張横に託されて、永遠の命を得たのです。


※テイ州のテイは【呈+おおざと】です。
     
     
    森下翠・著『元宋興亡史』(学研M文庫)より抜粋  
  
       絵巻水滸伝(第5巻)  

by suiko108blog | 2009-08-13 03:11 | Suiko108 クロニクル | Comments(0)
2009年 08月 12日
張順と張順(二)
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        『張順の物語』(其の二)

 十年の籠城にも耐えられると言われていた襄樊城の蓄えは、武器糧食に関しては十分だったが、塩や麦藁、絹布などが不足し始めていた。(注;襄樊とは襄陽と樊城、二つの城の総称)
 樊城では水練に長けた勇士を選び、城外に援軍を請いに行かせることにした。使者は蝋で固めた密書を髷の中に隠し、樊城から漢水に泳ぎ出た。しかし、見張りの元軍に発見されて捕らえられ、使命を果たすことはできなかった。
 そして三月、元軍(注;モンゴルが北中国に建てた王朝)は樊城の外城壁を破り、ついに城内に侵入した。二千余人の戦死者を出した戦いのすえ、樊城守備軍は外城を捨て、内城に撤退することを余儀なくされた。樊城の命運は旦夕に迫っていた。
 見かねた李庭芝(注;南宋軍の将軍)は、なんとかして補給を行おうと、襄陽、テイ州地域から民兵を募ることにした。
 集まったのは、死をも厭わぬ三千人の男たちだった。多くが山岳地方の勇敢な若者で、指揮官には、彼らがその知勇に心服している、“竹園張”張順、“矮張”張貴の二人が選ばれた。
 李庭芝は、彼らに莫大な報酬を与えることを約束した。
 そして、二十四日。夜。
 闇に包まれた漢水の上流にあたる北の支流に、軽舟百余叟が集結した。船は三隻ごとに繋がれ、中央の船に塩と布帛、両側の船には槍や弩で武装した決死の男たちが乗り込んだ。
 出撃にあたり、張順、張貴は男たちの前に立って言った。
「ただ死あるのみ!!」
 一行は襄陽の西北、清泥河を出発した。范文虎(注;南宋軍の将軍)の甥で、京湖制司の范天順が同行した。
 彼らは夜陰に乗じて漢水に漕ぎ入った。張貴が先に立ち、張順が殿をつとめた。やがて元軍の囲みに突入、戦闘が始まった。 (明日につづく)      
     
    森下翠・著『元宋興亡史』(学研M文庫)より抜粋  
  
       絵巻水滸伝(第5巻)  

by suiko108blog | 2009-08-12 01:54 | Suiko108 クロニクル | Comments(0)
2009年 08月 11日
張順と張順
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“浪裏白跳”張順(ろうりはくちょう ちょうじゅん)

潯陽江(現在の江西省)の魚河岸を取り仕切る漁師の元締め。体が練り絹のように白く、泳ぎの名手で、水中を行くこと“波間の白魚”のごとし。彼は水の申し子であり、七日七晩、水中にいることもできるという異能の持ち主です。“船火児”張横の自慢の弟でもあります。
張順はかつて追剥の兄とともに潯陽江で荒稼ぎをしていたこともありますが、いつしか足を洗い、魚河岸の顔役となりました。
水中では無敵、血気盛んな水軍中にあって冷静な知性派である張順は、宋江、呉用から厚い信頼を受け、梁山泊でも水軍頭領として活躍します。

実は、この張順には、モデルとなった人物がいます。

梁山泊の物語から数年後、宋は女真族の南下を受け、江南・杭州の地へ南遷します。水滸伝の舞台となった宋は「北宋」、この南遷した宋は「南宋」と呼ばれます。この南宋も、やがてモンゴル軍の猛威を受け、滅亡の時が迫ります。
この期に及んでも、奸臣の横行によって腐敗した南宋朝廷は現実から目を逸らし、各地を防衛する将軍たちは厳しい戦いを強いられます。特に南宋防衛の要衝であった襄樊城(じょうはんじょう・現在の湖北省)はモンゴル軍の猛攻を受け、激しい籠城戦が続いていました。
時は南宋末、1272年のこと。
襄樊の籠城は四年目を迎えていました。

少し長くなりますが、次回は森下翠の『元宋興亡史』(学研M文庫)から『張順の物語』を抜粋してお送りします。

 絵巻水滸伝(第5巻)

by suiko108blog | 2009-08-11 05:01 | Suiko108 クロニクル | Comments(0)