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2008年 10月 14日
★『“宋江三十六人賛”之二十二』
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北宋時代、梁山泊に集まった好漢たちの物語は、はじめから今の「水滸伝」の形をとっていたわけではありません。
『宋江三十六人賛』は、『水滸伝』の誕生に先駆けて、南宋時代(1127〜1279)に書かれた宋江ら三十六人の仲間を讃える文章です。もともとは画がついた“画賛”でしたが、画は散逸して、今では文章だけが残っています。
古文なので訳すのは大変に難しいのですが、一人ずつ紹介していきましょう。南宋時代の梁山泊にはどんなメンバーがいたのか、そして、彼らはどのような人物としてイメージされていたのでしょう。
※訳文はあくまで素人の推測・想像です。多少とも合っているのかどうか、まったく分かりません。識者のご教示をお待ちしています!



挿翅虎雷横

  飛而食肉(飛びて食肉)
  有此雄奇(有り此の雄奇)
  生入玉関(生入す玉関)
  豈傷令姿(豈に傷す令姿)

「飛びて肉を食らう、此の雄奇あり、生入す玉関、あに令姿を傷す」

水滸伝では第二十五の好漢である、“挿翅虎”雷横登場!! なんと相棒の“美髯公”朱仝より先です。あだ名は同じ“挿翅虎。『水滸伝」では脚力が強く、広い河でも飛び越えることができるので、“翼ある虎”──“挿翅虎”と呼ばれたと説明されています。
日本語でいうところの「鬼に金棒」を、中国語では「如虎添翼」「為虎生翅」などと云います。確かに、虎が飛びながら襲いかかってきたら……『水滸伝』でも朴刀を手に劉唐と互角の戦いを見せる雷横ですが、もともと相当に強かったのでしょうね。
 玉関とは現在の甘粛省にあった玉門関のことで、この先はいわゆる西域です。
「生」の意味は、生きて、初めて、むりやり、生き生きと……など多様です。玉関も、実際の玉門関ではなく、「玉門を入る」でなにか意味があったのかの知れませんね。たとえば、“山賊になる”……というような。もしくは本当に西域の人で、わざわざ宋国にやってきて山賊になったのでしょうか? いろいろ想像してみると面白いですね。

文章の意味をSUIKO108的に超解釈(?)してみると、

「“挿翅虎”雷横はあだ名のごとく、まるで翼の有る虎だ。飛ぶ虎が獣を襲うかのような戦いぶりは勇壮で、なかなかあるものではない。それが、どうしたわけか山賊となって、立派な姿に傷をつけることになるとは」

想像をたくましくすると、こんな感じでしょうか。『水滸伝』では朱仝の影にかくれがちですが、雷横、なかなか評価が高かったようです。

by suiko108blog | 2008-10-14 00:29 | Suiko108 クロニクル | Comments(0)


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