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2021年 08月 17日
『秋天の馬』(3) 〜絵巻水滸伝 外伝
絵巻水滸伝 外伝
『秋天の馬』

(3)

 月が沈むと、星がキラキラと輝き始めた。
“泥棒”は、若者の後をつけていった。
(あの足どり、用心ぶかく丸めた背中……まだまだ、嘴の黄色い駆け出しだな)
“泥棒”は獲物の相伴に預かるつもりだ。うまくいけば、横から丸ごと頂戴できる。
 馬たちの嘶く声が近づいてくる。心なしか地面も震えているようだ。
 夜が更けて、風もぐっと冷たくなっていた。空には雲が流れだし、星の光も霞んでいく。
“泥棒”は背中を丸め、前のめりになって小道を進んだ。若者は、つけられているのに気づいていない。
 やがて、道の彼方に家のあかりが見えてきた。小川のほとりの、さしかけ小屋のある小さな家だ。
 若者はそこへ向かっているらしい。
(あそこに馬がいるんだな)
 しかし、“泥棒”の期待をよそに、若者は慣れた様子で、その家に入っていった。
 煙突があり、裏に回ると薪や石炭が積んである。
(なんだ、泥棒じゃなく、鍛冶屋だったか)
 小窓からなかを窺うと、炉にぼんぼんと火が燃えて、若者が背中を向けて金床に向かい合っていた。若者は小さなトンカチでカチカチとなにかを叩き、それから、ヤスリで磨きはじめた。
(まぎらわしい奴め。忙しい俺様に無駄足を踏ませやがった)
“泥棒”は小屋に背を向けた。
 すると、また馬の嘶きが、ずっと近くから聞こえてきた。
 見上げると、月も星も覆い尽くして、雲が西から東へと走っていた。
(急いだほうが良さそうだ)
 道に戻ろうとしかけた時、裏口に誰かが来た気配がして、“泥棒”はまた物陰に首をひっこめた。
 やって来たのは、あの、お供えをしなかった娘だった。

 娘が裏口から小屋へ滑りこむと、金床の前の若者が驚いたように顔をあげた。
 娘はうつむき、襟元をぎゅっと握りしめている。その指には、金の指輪が光っていた。
(明日、嫁入りの花轎が来るというのなら、これは相手の金持ちからの結納の品だろう。なるほど、これで合点がいったぞ)
 娘は姿は美しいが、身なりは平凡な村の娘にすぎない。
 相手は街の金持ちで、年寄りの後添いか、あるいは子のない旦那に妾として買われていくのかもしれない。
 そして、美しい娘と、貧しい若者──ふたりは人目を忍ぶ仲なのだ。
(よくある話だ)
 娘は黙って炉の前に立ち尽くしている。
 若者は座ったまま、掌の中に、なにかを隠した。
「──これを見てよ」
 娘は、炉が放つ赤い光に、金の指輪をかざしてみせた。
「こんなもの、あんたは綺麗だと思う?」
 金の指輪は、娘の指には大きすぎた。
 若者は黙って下を向いている。
(じれったい若造どもだ、さっさと願いを言えばいいだろうに)
“泥棒”は帯に差した小刀を放り投げてやりたくなった。
 娘は自分を連れて逃げてほしいし、若者だって、娘を他人に渡したくない。
 しかし、娘は、廟に行ったり、鍛冶屋に忍んできたりはできるのに、本当の願いを口にすることができない。
 若者は娘を盗んで逃げたくて、武器となる小刀を鍛え上げたのに、決断する勇気がない。
 二人は黙り込み、身じろぎもせずにいる。夜はどんどん更けていく。
「時間がないぞ!」
 気づくと“泥棒”は二人を怒鳴りつけていた。
 二人はびっくりして顔をあげた。
“泥棒”も自分で驚いて、慌てて口元を袖で覆うと、いかめしい声色を作った。
『若者たちよ──聞け! われは秋天の神であるぞ!』
 頭上から響いてくる声に、二人は怯えて体を寄せ合った。
“泥棒”はさらに威厳のある声で続けた。
『娘よ、本当の願いを言ってみろ。若者よ、決断する勇気を絞り出せ。人生を変えられるのは今夜だけだぞ。これから一生、後悔しながら暮らしたいのか!』
 自分でも惚れ惚れするくらい、立派な言葉がすらすらと出た。
『話せ。決めろ。明日には死ぬかも分からぬのに、なにを恐れる!』
 言うだけ言うと、“泥棒”は足早に窓を離れた。
 馬の嘶きが、すぐ近くで聞こえたからだ。

 しんとした鍛冶場で、若者と娘は正面から向き合っていた。
「あたしは、街の金持ちには嫁ぎたくない」
「俺と一緒に、村から逃げよう」
「父さんが受け取った結納金は、どうするの」
「ふたりで死ぬ気で働いて、返せばいい」
「あたしは、あんたとなら苦労も平気よ」
「今夜、二人で村を出て行こう」
 若者は娘を胸に抱き、掌に隠していたものを娘に見せた。
 磨きあげられた銅の指輪は、娘の指にぴったりだった。


 空には風が唸り、雲が激流のように流れていた。
“泥棒”は野菊の花畑をわけて走っていた。
 ずっと馬の嘶きが聞こえている。それとも、風の音だろうか?
「いたぞ、馬だ!」
 花畑のむこうに、ひしめく馬の群れが見えた。馬たちは体をぶつけあいながら、“泥棒”に向かって突進してきた。何百、何千頭もいそうな白馬の群れだ。荒れ狂う突風に、野菊がちぎれ、飛び交う。馬たちは狂ったように駆けてくる。
(踏み殺される!)
“泥棒”は逃げた。疾走する白馬の群れに背を向けて、必死に走った。空はもう真っ暗で、星がひとつだけ輝いていた。
 その薄暗い星を目指して、“泥棒”は死に物狂いで走り続けた。馬の嘶き、鼻息、蹄の轟きが、背中の後ろに迫ってくる。
(のみこまれる!!)
 叫ぼうとした瞬間──“泥棒”は凄まじい怒濤に呑み込まれ、気を失った。

                  ***

「とうちゃん! バケモノが死んでる!!」
 子供の声で、“泥棒”は目をあけた。
 日が高い。
“泥棒”は、泥川の中に体を丸めて転がっていた。
 月も、雲も、馬も祭も、それらの名残りも、どこにもない。
 空はからりと秋晴れで、河原に芒が揺れていた。
「どうした、あんた」
“泥棒”に声をかけたのは、息子を連れた草刈りの農夫だった。
 農夫は“泥棒”に手を貸して、泥の中から立たせてくれた。
 幼い息子は立ち上がった“泥棒”を見上げると、いそいで父親の後ろに逃げ込んだ。
「でっかいバケモノ!」
「いいや、こいつは人間だ」
「うそだい。こんなでっかい人間、いるもんか」
“泥棒”はなにか言おうとしたが、頭の中は靄がかかったようにぼんやりとして、呻き声が出ただけだった。
「うぅ……ああ」
「──気の毒に」
 農夫は自分の首に巻いていた布をとり、“泥棒”の手に持たせてやった。
「なんでまた、こんな泥川にはまっていたんだ」
「……村、どこ……」
“泥棒”は、なんとかそれだけの言葉を絞り出した。
「村? あんた、あの村を訪ねてきたのか」
 農夫は“泥棒”が寝ころんでいた泥川の、西の方を指さした。
「ここにあった大きな村は、去年の秋祭りの夜、まるごと土に埋まっちまったよ。真夜中に突然、ものすごい嵐がやってきて、あっというまに川の水が氾濫したんだ。普段は、こんな細い川なのに……洪水が押し寄せる音は、山向こうの俺の村まで聞こえたが、まるで一万の馬が走り狂っているみたいだった」
 農夫は草を詰めた籠をしょい直し、ため息をついた。
「村人はみな眠り込んでいて、逃げられた者は、ただの一人もいなかった」
“泥棒”は口をぽかんと開いて、なにもない泥の平野を見ていた。足元の泥の間に、小さな野菊が咲いていた。
「とにかく、まず泥を払って、家に帰りな」
「──むう」
“泥棒”を残し、農夫はまた歩き始めた。息子もついて行こうとしたが、ふと立ち止まり、“泥棒”の方へ振り向いた。
「とうちゃん、あの人、かわいそうだ。おれの飴、あげていいかい」
「やさしい子だな」
 息子は自分の懐をさぐると、首をかしげた。
「とうちゃん、おれの飴、もうないよ」
「きのう、妹にやっただろ」
 自分も布で汗を拭こうとして、ないのに気づき、農夫は笑った。
「人にやったんだもの、もうないさ」

“泥棒”は杭のように佇んだまま、泥だらけの顔を布でぬぐった。
 指の間で、なにかがきらりと輝いた。
 指についた泥を落とすと、錆びた指輪をはめたはずの右の小指に、ぴかぴかの金の指輪が光っていた。
 澄んだ秋風が吹き抜けていく。
 空はどこまでも青かった。
 しかし、“泥棒”の頭にはやはり濃い霧がかかったままで、なにひとつ言葉は浮かばず、一体どっちへ行ったらいいのかさえ、自分ではまるで決められなかった。

『秋天の馬』〜絵巻水滸伝 外伝
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我々は決して負けない!! All Men Are Brothers      梁山泊一同

被害に遇われた皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。被災地の復興をお祈り致します。




by suiko108blog | 2021-08-17 00:00 | 絵巻水滸伝・外伝 | Comments(6)
Commented by しろうさ at 2021-08-17 06:23
予想外の好漢でした!
実は途中まで「馬…泥棒……あの人だな」と安直に思っていましたが
それにしては何かイメージが違うんだよね……からの展開が楽しかったです。
最後もいろいろ想像できるラストで、よかったと思います。
呉用さんの話の時も思いましたが、「好漢」と「ロマンス」……(イケメンとされている方達は別として)ぷぷっと思ってしまいますが、これがやっぱり書く人が書くと違うんだな……もっと書いてください!と思いました。
Commented by suiko108blog at 2021-08-17 09:45
> しろうささん
おはようございます。
外伝、楽しんでいただけて良かったです!
意外な好漢の、意外な物語でしたよね。
「奴が主役を張れるなら、オレだって!」と、数多の地サツ星がザワついていそうです。
「好漢とロマンス」、いいですね!イケメン以外、というのが味があります。
周通なんかは、本篇にありましたけど(桃花山は失恋コンピ!?)、冬青ちゃんは幸せになったかな……?
まだまだ語られざる好漢たちの物語がありそうですね。
次の外伝をお楽しみに!
Commented by 野村 at 2021-08-17 16:22
郁保四エピソード0、面白く拝読しました。
方臘戦で、南斗星旗を掲げ梁山泊軍を先導する最期と呼応するような、
馬群の轟にも思えた山津波に追われる異世界流離譚、クールですね!
夢から覚めた後にも魅入られ(呪われ?)続け言葉も自我も半ば失う、
因果とも言えない宿業が、ともすれば「なんで108人に入っているんだろう」
と思われそうな(笑)険道神に一気に重厚感を添える外伝でした。
こうやって誰も取り残さないところが、私も絵巻に魅入られ続けている由縁です。

さて昨日返信いただいてから、他に誰の外伝が知りたいかなあと考えていました。
ところ、鮑旭アニキ!李逵の一本釣りスカウト以来、優秀な歩兵頭領 兼 切込隊長で、
黒旋風が強烈すぎるせいか「飯食わしてくれたりついてきてくれたり意外にいい奴」。
でも登場シーンから言動から、明らかに梁山泊でも一級のサイコパス設定。謎です。

険道神が葬列を先導する神なら、最初っから職業死神やっていて、
専らしゃれこうべが話し相手の「ダークサイド施恩」な彼の前日譚などいかがでしょう?
バレーボールWilsonがお友達だった、トムハンクスのキャストアウェイよろしく
実は相当の寂しがりで武松並みのスカルアイテム好き、ていうのも可愛いですが(笑)!?

とはいえ、まだまだ職能的にもキャラ的にも目立たずどういう星の巡り合わせで
梁山入りしたのかようわからん好漢もいますし、楽しみにしております!
Commented by 雲海 at 2021-08-17 22:06
こんばんは。
郁保四、不思議な話ですねぇ。やはり自分自身を捧げて
しまったのですか・・・。むう(ちょっと気にいって
ますよ)。
しかし、もともとは小七君ばりのアグレッシブで
頭も回り、腕っぷしも良い好漢だったんですねぇ。
非常に面白かったです。馬泥棒つながりで段景住と
縁もありましたねぇ。彼に手を差し伸べる段景住の
シーンよく覚えております。神秘性も二人をつなぐ
縁だったのかもしれませんねぇ。
外伝は正直誰と決めきれないですな。郁保四の兄貴も
こんな過去があったのでは、誰の過去も未来も非常に
愉しい絵巻水滸伝ワールドが広がっておりますねぇ。
一人だけ推すならそうですねぇ、意外と過去が謎な
朱武の兄貴ですか。
Commented by suiko108blog at 2021-08-18 10:22
> 野村さん
外伝、読んでいただいてありがとうございました!
そういえば、郁保四、孟康についていったり、段景住についていったり、馬についていったり、意外と人懐こい感じもしましたよね。
晁蓋がいたら、杜遷、宋万とかと一緒に晁蓋護衛隊にいたかも……なんて、無理な話なんですけど。(いや、晁蓋が命懸けで郁保四を梁山泊に結びつけた?)

鮑旭!
たしかに謎の怪人ですね。
李逵より理性的かと思えば、李逵より危ない時もあり……まさに死神。
いったいどんな生い立ちなんでしょう。親はいたのか!?子供時代は???
ダークな話になりそうですね……。
「聞きたいか? 聞かないほうがいい」
と鮑旭が言っていそうです。
Commented by suiko108blog at 2021-08-18 10:26
> 雲海さん
今回も読んでいただいてありがとうございます。
むう……思わず、口をつくことありますよね!
郁保四、あっちでは、また元の陽気な(地健星ですからね、健全で、健やかなんです)オトコに戻って、みんなをビックリさせているかもしれませんね。
「孟康アニキ、俺だよ、俺!」
「てめえ、誰だ!」
「おっ、段景住」
「あなた だれ……」

朱武……これは、本格幻想綺譚か、はたまた……軍師の恋……ナイナイ!



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