2021年 08月 16日
絵巻水滸伝 外伝 『秋天の馬』 (2) “泥棒”は、人の話し声で目を覚ました。 目を開けると、扉の隙間から月光が白く床に伸びていた。 扉の前に誰かいて、ごにょごにょと独り言を呟いている。 どうやら、村人が一人ずつ“神様”に願いごとを告げに来るのが、この祭りのしきたりらしい。 一番手の村人は、金持ちだった。土地争いの裁判で勝たせてくれ──と熱心に祈り、扉の間からなにかを押し込んで帰っていった。 「裁判で勝ちましたら、また改めてお礼をさせていただきます」 “泥棒”が押し込まれた包みを開くと、銀がほんの一両ばかり入っていた。 (金持ちのクセに、しけた野郎だ) “泥棒”は銀を懐にねじこんだ。 (これしきの小遣い銭で願いがかなう? そりゃあ虫がよすぎる話だ) それからも、二、三人の商人や小役人らしいのが来たが、揃いも揃って欲をかいたお願いをし、ちょっぴりのお供えを供えていった。願いかなったらお礼を──というセリフまで同じだった。 それでも、“泥棒”の懐には、それなりの銀粒が集まった。 (強欲な連中が、こうして毎年やって来るんなら、あながち御利益がないわけではないのかもしれねぇな。“神様”ってのは、ずいぶん人がいいじゃないか) 月は空の高いところをめぐり、床に伸びる光の筋も動いていく。 金持ちたちの次は、中農程度の村人と、職人の親方風の人々がやってきた。願い事は平凡だったが、お供えは肉や饅頭、布や銭で、悪くなかった。 願い事をするには、まず名前と住処、生年月日を神様に伝える。“泥棒”は肉をはさんだ饅頭を齧りながら、なにげなく耳を傾けていた。 西の森の周嫂は、次は息子を切望していた。帰る里はないというのに、生まねば離縁だと言われているのだ。 東の岡の黄爺さんは牛が死んで困っているので、いい牛が安く買えますように。 北の辻の馮親方は、なくした具合のいい耳掻きが出てくるように願っている。 南の河原の王小姐は、可愛い子猫の病気が治りますように。 月がずいぶん傾いた。 それから、村でいちばん貧しい人々が、足を引きずりながら隠れるようにやってきた。消え入るような彼らの声は、扉に耳をつけなければ聞き取れなかった。 昨日、子供が屋根から落ちて死にました。あの子が極楽に行けますように。 戦に行った一人息子は無事でしょうか。あの子が無事なら、この命をさしあげます。 奥様が大切にしている鏡を井戸に落としてしまいました。知られたら殺されます。助けてください。 借金が返せず、妻を小間使いに売りました。売られた屋敷で、妻は首を吊りました。一目あって、謝りたいです。わしは、どうすればいいですか。 さいごに、“石橋の小桃桃”が泣きながらやって来た。 死んだおかあさんに会いたいです──どうぞもう一度、会わせてください。 この人々のお供えは、扉の細い隙間から、遠慮がちに差し入れられた。 欠け茶碗に入れた一握りの粟。 擦り切れた手巾に包まれた折れた櫛。 “石橋の小桃桃”はまだ七つで、なにも持っていないのだろう。野菊の束が、月光に白く滲んでいた。 目の前に並ぶお供えを、“泥棒”は、暫くじっと見つめていた。 月はもう沈みかけ、訪れる人も途絶えた。 “泥棒”は、立ち上がろうとした。 お供え物から金目のものを選り分けて懐に入れたし、美味そうなものは飲み食いして、腹もくちくなっている。村も寝静まっているころだろう。 (さっさとあの白馬を頂戴して、おさらばしよう) その時、さくさくと砂を踏む音が聞こえてきた。 用心深い軽い足音は──若い娘だ。 “泥棒”は扉に近づいて、隙間から外を覗いた。あんのじょう、翳りかけた月光のなかに美しい娘の顔が浮かんでいた。 「“神様”──明日の朝、花轎が街からあたしを迎えに来るんです」 娘は思い詰めた声で呟いた。 「あたしは──どうしたらいいか分からない」 それきり、娘は黙ってしまった。 “泥棒”が外を覗くと、泣いているのか、娘は両手で顔を覆っていた。細い指に、金の指輪がキラリと光った。 娘はしばらく泣いてから、なにも供えず、またさくさくと砂を踏んで帰っていった。 (ばかな娘だ。自分で分からないんじゃ、神様だって望みを叶えようがないだろう) “泥棒”は、今度こそ廟から出ようと腰を浮かせた。 扉を開こうとして、“泥棒”は床に下ろしかけた足を慌ててよけた。 石橋の小桃桃がそなえた野菊を、踏みつけそうになったのだ。 月は、もう山に沈みかけている。 “泥棒”はまた腰を下ろした。 村人たちが歌っていたことには、願い事は、月がある間にしなければならないそうだ。つまり、月が空にある間は、まだ誰か来るかもしれない。 (にせの神様でも、神様だからな。いなくなっては、よくなかろう) そして、ようやく月の光が消えかけた時、最後のひとりがやってきた。 しかし、この最後のひとりも、なかなか願い事を言わなかった。 (さっさと願い事を言え。朝まで、そこでねばるつもりか?) “泥棒”が痺れをきらして外を覗くと、帰っていく若者の後ろ姿が見えた。 扉の前には、真新しい小刀が供えてあった。 鞘を抜くと、刃は見事に研いであり、人でも一撃で殺せそうな品物だった。 (ははぁ、つまり、神様にも言えないような、ヤバい願いごとってわけか) “泥棒”は小刀を帯の間にねじ込んだ。 (ふん、あいつの背中は、俺と同類、“泥棒”の匂いがする。これから、デカいヤマがあるんだろう。あの馬を狙う同類かもしれねぇぞ) 廟の前の広場はしんとして、かがり火も燃え尽きていた。 どこかで、馬たちが嘶いている声が聞こえた。 顔をあげると、ちょうど月が西の山に消えていくところだった。 ──明日に続く 絵巻水滸伝第二部書籍と第一部書籍新装版のお求めはこちら! 被害に遇われた皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。被災地の復興をお祈り致します。
by suiko108blog
| 2021-08-16 00:00
| 絵巻水滸伝・外伝
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Comments(2)
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ん、険道神、大男?ついにか?!昨年12月、このブログで李雲編外伝の予告(クイズ)で、どうもそれらしき人物を話題にしたのも懐かしいですね。にしても、、、饒舌だし、発想がただの泥棒だしどっちかというと陽キャだ、本当に彼なのだろうか。ていうかこの後何が起こ(ったらああな)るんだ!と思って最終話楽しみにしています。
P.S. 先週末、NHKの「映像の世紀プレミアム」で放送された中国特集、最初と最後がパール=バック氏の引用という心憎い構成でした。私は「英語で好漢!」が真っ先に浮かんできましたが(笑)。
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> 野村さん
なんと、それは気が利いていますね。番組を見逃したのが残念! パール・バックは本当にすばらしい作家です。 外伝、楽しんでいただけて嬉しいです。 そうそう、あの時から構想があったそうですよ。 “泥棒”と彼が、どうつながるのか……明日の最終話をお楽しみに! そして、もし「この人の外伝が読みたい!」というのがあったら、どんどん書いてくださいね。 ひっそりと撒かれた種が、いつどこで芽を出すかは、九天玄女娘々の心次第なのです。 |
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