2021年 08月 15日
絵巻水滸伝 外伝 『秋天の馬』 (1) 東の地平が、明るかった。 昇ったばかりの満月が、太った赤ん坊の顔みたいに輝いていく。 その丸いほっぺたあたりを撫でながら、雲が流れる。 風が出始めていた。 びゅうびゅうと吹き抜ける突風の中で、“泥棒”は、空を見ていた。 月を見上げ、それから、足元に視線を落とした。 “泥棒”の足元には、ちょろちょろとした川が流れている。 「ふん、どこかの間抜けが、水瓶をひっくり返したか?」 “泥棒”は笑った。 喉がからからに乾いていたが、流れているのは泥水だった。 川の両岸にも、ひび割れた乾いた泥が見渡すかぎり広がっている。 泥は月光を浴び、銀色に輝いている。 月光が揺れながら泥のうえを通りすぎると、背の高い“泥棒”のからだは、大きな湖のなかに突っ立った一本の長い杭みたいに見えた。 “泥棒”は、ごくりと乾いた喉を鳴らした。 「泥水を飲んで死んだ奴はおおぜい見たが、俺も死ぬとは限るまい」 川のほとりに腰を落とすと、泥水の底がキラリと光った。 「なんだ?」 “泥棒”は巨体をまるくこごめて、足元の泥をさぐった。 拾い上げたのは、錆びた金属の小さな輪だった。なにげなく嵌めてみると、“泥棒”の太い小指にぴったりだった。 「とはいえ、こいつは一文にもならねぇゴミだ」 投げ捨てようとした時、どこからか馬の嘶きが聞こえてきた。 立ち上がり、空を仰ぐと、西の地平線が白かった。 無数の白馬が群れとなり、怒濤のごとく駆けてゆくのだ。 どの馬も筋骨たくましく、豊かなたてがみと尾を振り立てていた。馬たちは体をぶつけあい、汗をギラギラと飛び散らせながら、こちらへ向かって駆けてくる。 雷鳴のような嘶きと、地を蹴る蹄の轟きに、天も地もびりびりと震えていた。 「やっぱり俺はついてる!」 “泥棒”は、躍り上がった。 「あれは名馬だ、天の馬だぞ。一匹でもつかまえりゃ、大儲けだ!」 “泥棒”は馬の群れに向かって駆けだした。 その途端、泥だった地面は消え、“泥棒”の足は川に浸かった。小さな泥川──はどこにもなく、“泥棒”はそのまま、底なしの深い水の中へ沈んでいった。 *** 遠くから、賑やかな音楽が聞こえた。 楽しい祭の歌声だ。喇叭もある、太鼓もいる。笛に笙、男も女も歌っている。 目を開けると、真っ白い馬の鼻面が視界いっぱいに飛び込んできた。 “泥棒”は、両手でその首に抱きついた。 「やった、つかまえたぞ!」 叫んだとたん、馬の首は、ぺしゃりと潰れた。紙で作った馬だったのだ。 “泥棒”は潰れた紙の馬を抱えたまま、きょろきょろとあたりを見回した。 泥川に落ちたと思ったが、どこかの廟の前庭にあぐらをかいて座っていた。 篝火が真昼のように明るく、音楽はますます賑やかに、大勢の村人が“泥棒”を取り巻いて叫んでいた。 「神様が降りなさったぞ!」 前庭を埋めつくすほどの村人が、いっせいに“泥棒”に向かって平伏した。 「秋天の神様が降りなさったぞ!」 晴れ着の金持ち、ぼろ着の小作、楽隊、踊り手、松明を掲げた男も、お供えを抱えた女も、紙の馬を抱えた“泥棒”を中心に輪を作り、繰り返し叩頭している。 (ははぁ) “泥棒”は、少しも動じなかった。 (こいつは、この村の秋祭りだな。紙の馬を供えて、神様を降ろすんだ。なんだかよく分からねえけど、連中、俺を“神様”と誤解してるぞ) おもしれぇ──と、“泥棒”は思った。 (やはり俺は運がいい。こいつは、たいした儲けになる) 彼は江湖の人間だ。子供の頃から無茶をして、髯が生える頃に家を飛び出し、それからは我が身ひとつで世知辛い浮世を生き抜いてきた。危ない橋を何度も渡り、命を拾ったことも一度や二度のことではない。うまく生き抜く秘訣は二つ。“弁が立つこと”、“なんでもさっさと決められること”だ。 (俺みたいにな) “泥棒”はおもむろに立ち上がり、堂々と名乗りをあげた。 「善良なる村人たちよ! 我は東天より下りし尊い“険道神”であるぞ!」 彼は背が非常に高く、村人たちが見上げるほどの巨体である。おお──と、村人たちの歓喜の声がどよめいた。 「今年の神様はなんと立派でいらっしゃる!!」 村人たちは躍り上がり、喇叭や太鼓が嵐のように鳴り響く。 “泥棒”は得意になって胸を逸らした。 (ふん、あながち嘘じゃねぇ。俺は世間じゃ“険道神”と呼ばれて、ちっとは一目置かれているんだからな) もっとも、“険道神”はそんなありがたい神様ではない。 背の高い、葬列の先導をする神だから、どちかといえば不吉なほうだ。しかし、このあたりでは知られていない神なのか、みんな無邪気に喜んでいる。 「ありがたや、険道神様! これで万事が安心だ!」 村人たちは“泥棒”を取り巻き、輪になって踊りはじめた。なんとなく不思議な調子の歌に合わせ、踊りの輪が左回りにぐるぐる回る。 聞くともなしに聞いているうち、“泥棒”にも歌の意味が分かってきた。 この村では、中秋の満月の前夜、白馬に乗って天の神がやって来る──と、昔から言い伝えられている。その神は、人々に“恵み”を与える。秋の収穫とは別に、その者が本当に必要としているものを、ひとつだけ与えてくれるのだ。 (気前のいい神様だな) “泥棒”心の中で笑った。 (いや、神様だって、ただでは叶えてくれるまい) やがて、村人の中から長老たちが進み出て、“泥棒”を立たせ、廟の中へと連れて行った。 扉を明けると、狭い廟の中はがらんどうで、真っ白な座布団がひとつあるきりだ。 白髯の長老が“泥棒”をそこへ座らせると、みな廟から出ていった。扉が閉められ、村人たちは、また歌い、踊りながら広場を出ていった。音楽が遠ざかり、やがて途絶えて、あたりはしんと静かになった。 廟のなかには、灯もない。 “泥棒”は、座布団を枕に寝ころがった。 まだ宵の口。時間はある。 この村のどこかに、あの白馬の群れがいるはずだ。 (真夜中になったら、そいつを何匹か頂戴していこう) “神様”の正体は“泥棒”──それも、凄腕の“馬泥棒”なのだった。 ──明日に続く 絵巻水滸伝第二部書籍と第一部書籍新装版のお求めはこちら! 被害に遇われた皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。被災地の復興をお祈り致します。
by suiko108blog
| 2021-08-15 00:00
| 絵巻水滸伝・外伝
|
Comments(2)
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by
雲海
at 2021-08-15 21:41
x
こんばんは。
外伝さっそく拝読しました。 非常に興味深いです。本当にアノ好漢なのかな? ちょっとミステリーの感覚で読ましていただいて おります。 長雨早く解消しますようお祈りしております。
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Commented
by
suiko108blog at 2021-08-16 08:34
> 雲海さん
外伝、楽しんでいただけて嬉しいです。 本当に、彼はアノ人なんでしょうか?最後まで、お楽しみくださいね! そちらも長雨ご注意ください。 雨にうらみはなくとも、被害がないよう祈るばかりです。 |
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