あだ名は“菜園子”。もとは寺で菜園の番人をしていたが、いざこざから僧侶を殺してお尋ね者となったと云う。
その途上、悪名高い十字坡にて追剥“古夜叉”に見込まれて、その愛娘“母夜叉”孫二娘の入り婿となった。
以来、夫婦は孟州道の峠にある十字坡に居酒屋を構え、金持ちと見れば痺れ薬で盛りつぶして荷物を奪うという家業をしていた。
もっとも張青の仕事はもっぱら畑作りと料理で、まだら毛の兎を相棒に裏の畑にいるほうが多かった。
その渡世は変わっても、つねに心は大地にあり、ものに動じない、肝の据わった男であった。
豪傑と交わり、はげしい戦のなかにいても、種を蒔くことを忘れなかった。
彼の体は土に還ったが、まだら毛の兎は梁山泊に巣を営み、彼が植えた種はひびわれた大地に芽吹いた。
そして、いまも子を生み、葉を繁らせているだろう。
それこそが、彼が見たかった菜園の風景なのだ。