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2020年 12月 19日
『墨子の魚(ぼくしのうお)(三)』(全3回)
               (三)

 村の魚探しは夜になるまで続き、隣の家の水缸がすべて割られところで、ひとまず終わった。
 夜中、虎児は足音をしのばせて裏の畑に行った。
 そして、缸に縄をかけ、背中に担いだ。水が入った缸は重かった。縄が肩に食い込んで、足がよろけた。少し水をこぼしたが、それでも岩のように重かった。
 虎児は歯を食いしばり、缸をかついで歩き始めた。
 ようやく寝静まった村を抜け、虎児は遠くの山裾にある深い淵をめざして歩いた。
 背中で水がちゃぷちゃぷと跳ねるたび、心臓がドキリと鳴った。
 村を離れ、野原の道に出るとほっとしたが、今度は缸の重みがに胸がつまり、体ごと土にめりこみそうだった。
 それでも虎児は休まずに歩き続けた。
 夜になっても蒸し暑く、汗がぽたぽたと道にこぼれた。
 ぼんやりとした星明りをたよりに歩きながら、虎児はなんども眠りかけ、はっとしては、また歩いた。道は、どこまでも続いていた。
 歩いているのも、夢の中のような気がした。
“天の魚を盗んだな!”
 怒鳴り声に驚いて振り返っても、青白い道が続いているだけだ。
“なぜ母親を救わないのだ!”
 それも夢の声だった。
 虎児はぎゅっと背負い縄を握りしめ、自分の足を励ました。
 風の音や、草原を走る獣の気配、目に見えないなにかの声に追いかけられて、虎児はそれからは眠らずに歩き続けた。
 そして、ついに、何年か前に王じいやと一度だけ行ったことがある深い淵に辿り着いた。その時よりも木が茂り、空気がひんやりと冷たかった。
 藪をわけ、葉で頬を切り、虫に刺されながら岸まで下りると、鏡のように静かな水面がどこまでも広がっていた。
 虎児は岸辺に缸を下ろし、石を拾った。
 そのまま、しばらく動かなかった。
 風もなく、星も見えず、ただ真っ黒な淵だけが、虎児をじっと見つめている。
 虎児は、ぐっと腕に力をこめた。
 そして、青い眼を見開くと、思い切り石を缸へと振り下ろした。
 缸が音をたてて二つに割れ、その途端──あたりに、金色の光が溢れた。
 虎児は思わず目を細めた。
 満月が山から昇り、差し込む光で水面が金色に輝いたのだ。
 そのまばゆい光の中へ、缸の中から大きな魚が飛び出した。
「あっ」
 思わず叫んだ。あんなに小さかった茶色い魚が、いつの間にか缸いっぱいに育っていた。大きな魚は金色の鱗を光らせながら淵に飛び込み、やがて、ゆっくりと水面に浮かび上がった。青い目が、虎児をじっと見つめていた。
『たすけたから、たすけてやろう』
 魚がしゃべった。
『だが、忘れるな。お前が人を殺したら、お前の命で返してもらう』
 金色の魚は水面を蹴り、月光の中に跳ね上がった。
 飛び散る滴がきらめいて、星のように虎児に降りそそぐ。
 それは──とても、おそろしいほど、美しい光景だった。


 額が冷たくて目を覚ますと、朝露だった。
 虎児が朝日の中を一目散に走って家に帰ると、屋敷は大騒ぎになっていた。
 家僕たちが、慌ただしく出入りしている。虎児は勇気をふるって、門をくぐった。
 そして、すぐにその騒ぎが、母親が死んだためではなく、医者が来たせいだと知った。
 県城の医者が誰も来てくれないのに業を煮やした父親は、もっと大きな州城まで行って、評判の名医がまだ寝ているところを背負ってきたのだ。父親が作っていたのは、柩ではなく、医者を担いでくる背負子だった。
 寝間着のままの医者を担いで、父親は州城から村まで走り通した。まだ、全身から汗がぽたぽたと垂れていた。
 家中が大騒ぎで、誰も、虎児がいないことに気づいていなかった。
 母親の部屋を覗くと、医者は机で処方箋を書いており、母親は全身に鍼を打たれたまま、ばあやが作った瓜の酢漬けを食べていた。
 それから、母親は医者の薬を飲み、瓜の酢漬けをぱりぱりと食べ、あとは昏々と眠り続けた。そうして、毎日少しずつ起き上がれるようになり、十日後には、また虎児の頭を撫でられるようになった。

 父親は、州城の医者の薬を大量に買い、みなに分けた。
 それから、村の疫病もだんだんと収まっていき、寒くなる頃には、誰も天の魚のことなど口にすることもなくなった。
 ただ、村では魚を食べる者がいなくなり、翌年は病も出なかった。
 東方大夫もいつの間にか姿を消し、傾いた竜神廟の土間の上には、はしばみのねじ曲がった枝だけが、いつまでも転がっていた。
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我々は決して負けない!! All Men Are Brothers      梁山泊一同

被害に遇われた皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。被災地の復興をお祈り致します。




by suiko108blog | 2020-12-19 00:00 | 絵巻水滸伝・外伝 | Comments(2)
Commented by 雲海 at 2020-12-19 22:03 x
こんばんは。
墨子の魚、拝読しました。
なるほど、今の世相が反映されていますよねぇ。
なんだろう、災厄はひとの心を荒ませます。
こういう時だからこそひとは潤いを持ってひとを
助けるべきなのに、と考えますが・・・。
で、天の魚・・・アレ・・・ア●ビエでしたか。
雲海のなかでは人面魚がかの予言をもたらす
神かあやかしかにたちまち昇華しました。
といいますか、森下先生の肩をア●ビエが
叩いたのかもしれませんねぇ。
李雲はその宿命に殉じたのか・・・。
なんとも感慨にひたらせていただきました。
Commented by suiko108blog at 2020-12-20 08:52
> 雲海さん
読んでいただいてありがとうございます!
天の魚のビジュアル、アマビエか、人面魚か……いや、ふつうのサカナでも、十分こわいですが。
李雲は、「察」の星ですから、自然や、動物といったものの意思をも察することができたのかもしれませんね。


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