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2019年 06月 13日
外伝について~金奴姫ほか
おかげさまで大好評の『絵巻水滸伝』20周年記念外伝
史実と絵巻と様々なネタを織り混ぜた世界ですが、元になった史実について少しご紹介しましょう。
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それは人生でただ一度の輝く夏
あの夏こそ、私の命
あの夏に流した汗が、涙が、今も私を生かしているのだ
     紹興五年四月 於上京会寧府  大宋栄徳帝姫 趙金奴

この日付は、徽宗が金の五国城で崩御した年月です。
この時、金奴金国帝の夫人となり、皇后並みの待遇を受けていました。
「紹興」は、金ではなく、南宋の年号です。

これより前、金奴の夫が即位すると、それまで着るものや食べるものにも困窮していた徽宗父子の待遇が良くなっています。その死後も、柩を南方に送り返す許可が出ましたが、受け入れなかったのは、南宋の方でした。
金奴姫の没年は分かっていません。子供もいなかったようです。
波瀾の生涯でした。

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北宋の滅亡、それにともなう皇族・官僚たちの北への連行は、とくに女性たちに多大な犠牲を強いるものでした。
金国に連行される途中で、数えきれない女性、子供たちが犠牲になっています。
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殺されたもの、病死、自殺、妓女になったもの……若く美しい后妃たちは、女真貴族の妾として次々に奪われていきました。
虜囚となった徽宗は、それを嘆けども無力で、ただ一族の妻や娘たちが散り散りになっていくのを傍観しているほかはありませんでした。
この混乱は、やがてニセモノの帝姫が南宋に現れるという事件にも発展します。それくらい混乱していたのです。

徽宗や息子の欽宗の後宮には、何人も“猫児”がいます。当時もネコブームだったのでしょうか。
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亡国の時に13歳で自刎したというこの猫児は、いったいどんな少女だったのでしょう。
凛とした目の、活発な少女だったような気がします。

なお、「~奴」という名前も、当時の流行のひとつでした。

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彭尼は宋史列女伝に載っています。

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悪い林霊素。若い時はお寺にいました。
なお、チャラい郭道士は、もちろん後伝のアノヒトですね。



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我々は決して負けない!! All Men Are Brothers      梁山泊一同

被害に遇われた皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。被災地の復興をお祈り致します。




by suiko108blog | 2019-06-13 00:00 | Suiko108 クロニクル | Comments(4)
Commented by SKS at 2019-06-13 00:34 x
南宋に現れた帝姫…。正子先生が表紙を描いた井上裕美子先生の小説「公主帰還」の元ネタですね。そういえばこの絵にも猫が描かれていました。
Commented by suiko108blog at 2019-06-13 08:57
> SKSさん
そうそう、あのニセモノ帝姫です。顔を知っていた侍女に面接させて、やっと正体がバレタという……ほかにもそういう話はたくさんあったかもしれませんね。
そして、やはり北宋はネコブーム!徽宗も猫を描いていますね。
Commented by 幸之鳥 at 2019-06-13 20:33 x
彭尼も元ネタがあったのですね。
虎に命乞いをしたら見逃してくれたパターンはたまにありますが、
斬りかかっていくとは…すごい!
Commented by suiko108blog at 2019-06-13 21:28
> 幸之鳥さん
たしかに!命乞いして、身代わりに食べられるのが列女のパターンですよね。
そんな王道に逆らい、虎をやっつけてしまった彭女!
嫁いだという記述がありませんが、やはり武松なみの“虎ごろし”をもらおうという豪傑がいなかったのでしょうか……。


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