兄の解珍はあだ名を“両頭蛇”──「双頭の蛇」。弟の解宝はあだ名を“双尾蠍”──「両尾の蠍」と言う。ともに人物の危険なことを表している。特に双頭の蛇は中国では不吉とされ、見た者は必ず死ぬと云われている。ただし、この兄弟のうちでは、弟の“双尾蠍”解宝のほうが兄よりも気性が激しく、両腿には飛天夜叉を刺青している。
ともに渾鉄の点鋼叉(磨き上げた鋼のさすまた)と弓の使い手で、腕利きの猟師として登州では名が知られていた。しかし、賞金のかかった獰猛な人喰い虎を仕留めたことが災いし、無実の罪で捕らえられる。その事件が“病尉遅”孫立、“母大虫”顧大嫂をふくめた一族総出の牢破りに発展。祝家荘戦を経て、みなで梁山泊へ落ち延びた。
梁山泊では、およそ戦いの場面に彼らの姿がない時はなかった。勇猛果敢かつ機転が利くという頼りになる好漢で、特に獣を追って山中を駆け回っていたためか、城壁や山道といった難所には欠かせない人材であった。
戦の花形といえば五虎将など騎兵だが、彼らとは一味違った、地味だが堅実な活躍を見せる歩兵軍遊撃部隊を象徴するともいえる男たちであった。
「死ぬ時は、山で死のう」の言葉通り、方臘討伐最大の難関、烏竜嶺にて絶壁に果てた。
伝説の“葛氏禁気嘯”により野獣を呼ぶ技を会得していた彼らは、あるいは自身も獣の一類であろうか。
「暴」とは、動物を両手で抱えて日にさらす姿、「哭」とは犬のけたたましい鳴き声である。
人ならぬ自然の魂が、一時、人間世界に姿を現したのが、彼らであったのかもしれない。
この世界に生きているのは、人間だけではないだぞ──と。