吉川英治『三国志』は、
劉備がお茶を買おうとするシーンから始まりますが、こ れは
吉川英治の創作で、漢代ではお茶は高級品、嗜好品ではなく、医薬品の扱いでした。
喫茶の風習は唐代あたりから一般的になり、宋代には庶民もお茶を飲むようになります。
町には色々なお茶菓子を置いた茶館もできて、お年寄りが集まっておしゃべりしたり、不良のたまり場になったり、庶民のサークル活動の場や、女子会の会場になっていました。
また、
『東京夢華録』には、隣に人が越してくると茶を贈ったり、茶瓶をさげて近所の人と集まって四方山話しに興じる……という市民生活の描写もみられます。
現代でも100円のテイクアウトコーヒーから、一杯1000円の高級店まであるように、当時も、立派な門構えの高級な茶楼から、妓館をかねた花茶坊、茶瓶をさげて売り歩く行商人まで、様々な種類がありました。
『水滸伝』では遊び人の
西門慶が
王婆に
潘金蓮との仲立ちを頼みますが、この
王婆のように、茶店ではないのに茶を出して代金を稼ぐのは、
人情茶店と呼ばれていました。
皇帝が飲むのは高級なお茶で、
白茶と呼ばれる茶水の色の薄いものが最高級として尊ばれたそうです。
もちろん庶民の口に入るものではありませんが、街角で甘いお菓子をつまみなが ら四方山話しに興じれば、安い出涸らしでも楽しそうですね。
また、お茶には二種類あり、レンガのように固められた
片茶、ばらばらの茶葉ままの
散茶がありました。
これは、どちらも粉に轢いてお茶にします。
日本の茶道の源流ですね。
宋代は、大きな碗に一度に作り、それを銘々の茶碗に注ぎ分けたようです。
水滸伝の好漢たちは、まず酒ですから、お茶にかかわる人物はいませんが、彼らも時にはお茶を楽しんだことでしょう。
明日は、いろいろなお茶をご紹介します。
我々は決して負けない!! All Men Are Brothers 梁山泊一同
被害に遇われた皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。被災地の復興をお祈り致します。
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