松江城の前には
堀尾茂助吉晴の銅像が立っていますが、こちらはお隣の島根県庁前に立つ
「松平直政公像」です。
松平直政は
結城秀康の三男で、
徳川家康には孫になります。
14歳で兄の
松平忠直軍に加わって大阪の陣に出陣し、勇敢に戦って武功をあげます。
これはその時の雄姿でしょうか。
直政は母親の身分が低かったために冷遇され、出陣の支度をする軍資金もなかったと云われていますが、この活躍をきっかけに
家康にも認められるうようになり、やがて初代
松江藩藩主となりました。
松江城・祝!国宝
ところで、
茂助が築いた
松江城ですが、築城前に嫡子が夭折し、後を継いだ孫も跡継ぎがなく、堀尾家の嫡系は3代で改易になってしまいます。
その後に入った
京極氏も跡継ぎができず……。
その頃、
松江城の天守には妖怪が出るともっぱらのうわさでした。
そこにやって来たのが
直政です。
新しい城主となった
直政が天守最上階の「天狗の間」に登ると、うわさ通り恐ろしい形相の妖女が現れます。
「この城は私のものじゃ!」
すると
直政は答えます。
「よろしい。このしろ、お前にくれてやろう」
翌日、
直政は魚の
「コノシロ」を天守閣に届けさせます。
以来、妖女はぱったりと姿を消したということです。
後年、「油口」と陰口を云われた口達者の
直政らしいエピソードですが、妖女は人柱になった美女の幽霊だったとも云われています。
悪いのは
茂助……?。

妖女伝説が伝わる「祈祷櫓」、別名「コノシロ櫓」。
我々は決して負けない!! All Men Are Brothers 梁山泊一同
被害に遇われた皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。被災地の復興をお祈り致します。
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