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2015年 05月 20日
出雲旅行記~松平直政公銅像
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松江城の前には堀尾茂助吉晴の銅像が立っていますが、こちらはお隣の島根県庁前に立つ「松平直政公像」です。
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松平直政結城秀康の三男で、徳川家康には孫になります。
14歳で兄の松平忠直軍に加わって大阪の陣に出陣し、勇敢に戦って武功をあげます。
これはその時の雄姿でしょうか。

直政は母親の身分が低かったために冷遇され、出陣の支度をする軍資金もなかったと云われていますが、この活躍をきっかけに家康にも認められるうようになり、やがて初代松江藩藩主となりました。
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      松江城・祝!国宝

ところで、茂助が築いた松江城ですが、築城前に嫡子が夭折し、後を継いだ孫も跡継ぎがなく、堀尾家の嫡系は3代で改易になってしまいます。
その後に入った京極氏も跡継ぎができず……。
その頃、松江城の天守には妖怪が出るともっぱらのうわさでした。
そこにやって来たのが直政です。
新しい城主となった直政が天守最上階の「天狗の間」に登ると、うわさ通り恐ろしい形相の妖女が現れます。
「この城は私のものじゃ!」
すると直政は答えます。
「よろしい。このしろ、お前にくれてやろう」
翌日、直政は魚の「コノシロ」を天守閣に届けさせます。
以来、妖女はぱったりと姿を消したということです。

後年、「油口」と陰口を云われた口達者の直政らしいエピソードですが、妖女は人柱になった美女の幽霊だったとも云われています。

悪いのは茂助……?。
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妖女伝説が伝わる「祈祷櫓」、別名「コノシロ櫓」。


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  我々は決して負けない!! All Men Are Brothers          梁山泊一同

被害に遇われた皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。被災地の復興をお祈り致します。

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by suiko108blog | 2015-05-20 00:00 | 戦国散歩 | Comments(0)


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