“両頭蛇”解珍
北宋時代、梁山泊に集まった好漢たちの物語は、はじめから今の「水滸伝」の形をとっていたわけではありません。
『宋江三十六人賛』は、『水滸伝』の誕生に先駆けて、南宋時代(1127~1279)に書かれた宋江ら三十六人の仲間を讃える文章です。
もともとは画がついた“画賛”でしたが、画は散逸して、今では文章だけが残っています。
古文ですし、当時の世相を色濃く反映しているので、訳すのは大変に難しいです。
分からない言葉もたくさんありますが、なんとか頑張って読んでいってみましょう。
南宋時代の梁山泊にはどんなメンバーがいたのか、そして、彼らはどのような人物としてイメージされていたのでしょう。
※訳文はあくまで素人の推測・想像ですので、多少とも合っているのかどうか、まったく分かりません。
皆さんのご意見、識者のご教授をお待ちしています!
“両頭蛇”解珍
左噛右噬(左を噛み、右にかみつく)
其毒可畏(その毒、おそるる可し)
逢陰徳人(陰徳の人に逢えば)
杖之亦斃(これを杖して、またたおるる)
「左を噛み、右にかみつく。その毒、おそるる可し。陰徳の人に逢えば、これを杖して、またたおるる」
梁山泊第34位、解兄弟の兄・解珍登場です。
あだ名は同じく“両頭蛇”、双頭の蛇ですね。
頭が二つあるように見える蛇もいるようですが、こちらは文字通り、二つ頭の蛇でしょう。
頭がひとつでも恐ろしいのに、二つあるのだからたまりません。
「噛」も「噬」もどちらも「かむ、かみつく」の意味です。
「陰徳人」のとは、人しれずに有徳の行いをする人。
「杖」は「杖で叩いて罰する」でしょうか。
“両頭蛇”には、有名な故事があります。
戦国時代、楚国の孫叔傲は子供の頃、道で“双頭の蛇”を見てしまいます。
この頃、「双頭の蛇を見た者は死ぬ」と云われていました。
孫叔傲は「自分も死んでしまうんだ」と悲しみますが、また誰かがこの蛇を見てはいけないと、
蛇を打ち殺して土に埋め、泣きながら家に帰ります。
訳を聞く母親に、その話をすると、母親は「お前はいいことをしたのだから、死ぬことはない」と言って聞かせます。
母親の言う通り、孫叔傲は死なず、のちに楚国の宰相になりました。
少年・孫叔傲が、他人のために蛇を殺して埋めたことは“陰徳”であり、必ずよい報いがあると母親は慰めたわけです。
いい話ですが、解珍はこの“見たら死ぬ”と云われた両頭の蛇のような、恐ろしい存在だと思われていたわけですね。
「解珍の野郎は忌まわしい“両頭蛇”のような奴。出会ったら命はない。しかし、“陰徳の人”に出会えば、奴だって叩き殺されてしまうんだ」
そんな感じでしょうか?
ちょっと負け惜しみみたいな感じですね。
我々は決して負けない!! All Men Are Brothers 梁山泊一同
被害に遇われた皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。被災地の復興をお祈り致します。
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