あちこち取材の旅をしていますと、時として思わぬ“人”との出会いがあります。
目指す人物とは別に、まったく予想していなかった歴史上の人との偶然の出会いです。
どこに行っても
天海さんゆかりの場所があって、さすが108歳まで生きただけある……と感心したり、行く先々に
小堀遠州が作った庭があって「またお前か……!」と呟いたり。
そんな時は、帰ってから色々と調べてしまったりするものです。
今回も
山中鹿之介三昧、せいぜい
尼子経久のはずが、思わぬ人物との出会いがありました。
それは……suiko108、全く興味も好感度もなかった男(ゴメンナサイ)、
堀尾吉晴です。
堀尾吉晴。
戦国ファンならば、よく本や資料で目にする名前です。
でも、彼について知っていることは、それほど多くはないのではないでしょうか。
ファンも少なそう……というか、いない?
尾張出身の戦国武将。
秀吉の最古参で、信頼を厚く、武功もそれなりにあり、穏やかな人柄で
“仏の茂助”と呼ばれた。
彼は関が原の戦いの後、出雲を領し、
月山富田城の城主となります。
やがて、時世に合った平城の
松江城の建設をはじめますが、完成を見ずになくなり、本人の希望でこの地に葬られました。
月山の麓、
巌倉寺にそのお墓はあります。

こちらは入り口の「赤門」。

けっこう急な山道を登っていくと……ありました!
茂助のお墓です。
巨大!
普通、あまりお墓というのは面白くないものなのですが、これはものすごいインパクトです。
“仏の茂助”のイメージとのギャップがありすぎです。
思わず携帯を置いて大きさの比較をしたくなるくらい大きい。
温和と、謙虚と節約は関係ないのか、はたまた“仏”だから、死んでからの存在感が物凄いのか……。
こんな巨大な五輪塔ははじめて見ました!
こちらは同じ敷地にひっそりと佇む
鹿之介の供養塔です。

賢夫人として名高い奥方が、入城後、間もなく建てたとのことです。
茂助のお墓はこちらの供養塔より、50倍くらい大きいのでは……。
これで七難八苦男・鹿之介が供養されたかどうかは分かりませんが、この地に入って10年後、
堀尾吉晴は亡くなり、ここに葬られました。
近くには、若くして亡くなった娘の
小那姫のお墓もあります。
明日は茂助が築いた
松江城をご紹介します。
我々は決して負けない!! All Men Are Brothers 梁山泊一同
被害に遇われた皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。被災地の復興をお祈り致します。
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