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2014年 11月 18日
楊志と楊業
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 “青面獣”楊志(せいめんじゅう ようし)

顔に大きな青痣があり、それゆえに“青面獣”と呼ばれます。彼は名門・楊家の出身で、武挙(ぶきょ・武官の登用試験)に受かって禁軍の武官になります。しかし、衆に優れた武芸も、名門の栄誉も、打ち続く不運の前には無力でした。楊志は勅令による花石綱(かせきこう・天子に供する奇岩の輸送)に失敗し、起死回生をかけた生辰綱(せいしんこう・宰相への誕生祝い輸送)をもしくじって、ついに二竜山の賊となります。
運命に弄ばれるように流転するなかで、楊志が唯一、心の拠り所としていたのが、伝家の宝剣“吹毛剣”(すいもうけん)でした。楊志の曾祖父にあたる、楊業の遺品と云われる剣です。
楊業は太原(現在の山西省)の人。若い頃から任侠を好み、騎射に優れた豪傑として知られていました。初め北漢国に仕え、節度使として数々の軍功をあげて「無敵」と号せられましたが、のちに腐敗した北漢の朝廷を見限って宋の太宗に降ります。宋国の将となった楊業は、たびたび北方の契丹(きったん)族を破り武功を立てます。契丹軍は楊業を恐れ、その旗を見ただけで撤退していくほどでした。
しかし、雍熙三年(986年)、契丹との戦いに赴いた楊業は、上官として同行した奸臣・潘美に陥れられ、寡兵をもって不利な地に布陣させられることになります。楊業は力戦するも敗れ、身には数十創を負い、士卒は全滅し、馬もまた重傷を負って倒れます。まだ僅かな兵が残っていた時、楊業は彼らに「自分とともに死ぬことはない。ここを去って生き延びろ」と語りかけます。しかし、一人として去る者はいませんでした。
楊業は息子とともに捕虜となり、契丹軍が求める降伏を拒否し、絶食すること三日にして、ついに非業の死を遂げます。その死のありさまを聞いて、泣かぬ者はいなかった──と云われています。
過酷なまでに続く不運にもめげない楊志の強靱な意志は、この不屈の英雄の血を受け継いでいるという誇りに支えられているのです。


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by suiko108blog | 2014-11-18 00:22 | Suiko108 クロニクル | Comments(0)


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