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2014年 10月 23日
『宋江三十六人賛』(18)
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   “小李広”花栄


北宋時代、梁山泊に集まった好漢たちの物語は、はじめから今の「水滸伝」の形をとっていたわけではありません。
『宋江三十六人賛』は、『水滸伝』の誕生に先駆けて、南宋時代(1127~1279)に書かれた宋江ら三十六人の仲間を讃える文章です。
もともとは画がついた“画賛”でしたが、画は散逸して、今では文章だけが残っています。

古文ですし、当時の世相を色濃く反映しているので、訳すのは大変に難しいです。
分からない言葉もたくさんありますが、なんとか頑張って読んでいってみましょう。
南宋時代の梁山泊にはどんなメンバーがいたのか、そして、彼らはどのような人物としてイメージされていたのでしょう。

※訳文はあくまで素人の推測・想像ですので、多少とも合っているのかどうか、まったく分かりません。
皆さんのご意見、識者のご教授をお待ちしています!

   “小李広”花栄

  中心慕漢(中心より漢を慕い)

  奪馬而帰(馬を奪いて帰る)

  汝能慕広(汝、能く広を慕えば)

  何憂数奇(何ぞ数奇を憂う)


「中心より漢を慕い、馬を奪って帰る。汝、能く広を慕えば、何ぞ数の奇なるを憂う」

水滸伝では第九位の“小李広”花栄が颯爽と登場です。
あだ名は“小李広”で同じですから、やはり弓の名手だったのでしょう。「広」とはもちろん、対匈奴戦線の英雄“飛将軍”李広のこと、「数」とは運命のことを云います。

文章の意味をSUIKO108的に超解釈(?)してみると、

「漢の時代、匈奴と戦った李広将軍は、匈奴の捕虜となっても馬を奪って戻ってきた。もし、本当にその李広将軍を慕うのであれば、どうして思いがけない自分の運命を憂うことがあろうか」

李広は将軍となったばかりの頃、匈奴の大軍と戦って、捕虜となったことがありました。その時、李広は病気のふりをして匈奴を油断させ、匈奴の子供が乗っていた駿馬を奪って故国へと戻りました。しかし、敗戦や捕虜となった罪で、李広は庶民に落とされます。『絵巻水滸伝』第四巻で、“錦豹子”楊林が花家を訪れて謡った台詞、
「いわんや是れ 西方無事の日
 覇陵、誰か旧将軍を知らん」
というのは、庶民となった李広が酔って夜間通行を禁止されている覇陵を通ろうとして、役人に止められた──という故事に由来しています。
李広はやがて再び将軍となり、匈奴との戦いを繰り広げますが、最後は戦に遅れた責任を取るような形で自害します。
三十六人讃の花栄は、弓の名手で、硬骨の老将軍を慕って自ら“小李広”と名乗っていたのでしょうか。そして、やはり役人に逆らい、賊となったのでしょうか。
もしそうならば、賊となった自分の運命を嘆くことはない──と、まるで応援しているようです。老将軍が自害した時、彼の部下はもちろん、市井の人々もその死を痛んで泣いたと『史記』は伝えています。李広だって、山賊になってしまえば良かったのに──と、後の人々も思っていたのかもしれません。
もっとも、「李広が馬を奪って戻ったように、お前もいつか正道に戻れ」、という意味にも取れますので、読む人によって解釈も分かれそうですね。


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by suiko108blog | 2014-10-23 00:22 | Suiko108 クロニクル | Comments(0)


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