“浪子”燕青
北宋時代、梁山泊に集まった好漢たちの物語は、はじめから今の「水滸伝」の形をとっていたわけではありません。
『宋江三十六人賛』は、『水滸伝』の誕生に先駆けて、南宋時代(1127~1279)に書かれた宋江ら三十六人の仲間を讃える文章です。
もともとは画がついた“画賛”でしたが、画は散逸して、今では文章だけが残っています。
古文ですし、当時の世相を色濃く反映しているので、訳すのは大変に難しいです。
分からない言葉もたくさんありますが、なんとか頑張って読んでいってみましょう。
南宋時代の梁山泊にはどんなメンバーがいたのか、そして、彼らはどのような人物としてイメージされていたのでしょう。
※訳文はあくまで素人の推測・想像ですので、多少とも合っているのかどうか、まったく分かりません。
皆さんのご意見、識者のご教授をお待ちしています!
“浪子”燕青
平康巷陌(平康巷陌)
豈知汝名(豈に汝が名を知る)
太行春色(太行春色)
有一丈青(一丈青有り)
「平康の巷陌(まち)、豈に汝が名を知る、太行の春色、一丈青有り」
水滸伝では第三十六位、天コウ星末席である“浪子”燕青が堂々の第八位です。
文章の意味をSUIKO108的に超訳(?)してみると、
「色街では、誰もが“浪子”燕青の名を知っている。太行山は春爛漫、色男の燕青はすらりとした体に見事な入れ墨」
※こんな感じでしょうか?
「平康里」とは長安にあった有名な色街の名。「太行山」は古来、盗賊が立てこもった山で、もともと水滸伝の舞台はここであったとも云われていま す。
「一丈青」は扈三娘の綽名でもあり、この言葉をめぐっては、さまざまな水滸伝研究書で物議をかもしていますね。「すらりしとした長身」「竜の入れ 墨」などなど……。
色街で名を知らぬ者はない伊達男の“浪子”燕青は、きっと、すらりとした色白の体に、碧く美しい入れ墨をしていたのでしょう。燕青らしい華やかな 賛ですね。
ちなみに、『“宋江三十六人賛”之三 “玉麒麟”盧俊義』にも「太行山」の名が出てきます。この二人、初めから結びつきがあったのかもしれませ ん。
我々は決して負けない!! All Men Are Brothers 梁山泊一同
被害に遇われた皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。被災地の復興をお祈り致します。
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