会津美里町での講演会の帰り、
会津若松に寄ってきました。
会津若松は
白虎隊はじめ
戊辰戦争や
野口英世関連の史跡がたくさんありますが、まずらこちらを訪ねました。
蒲生氏郷の墓会津若松市内、にぎやかな神明通りから少し入った、
興徳寺さんの境内です。
蒲生氏郷というと、織田信長の娘婿、秀吉の配下として西方の人のイメージがありますが、現在に至る会津の基礎を築いたのは、天正18年、秀吉の奥州仕置において伊勢から会津に移封された氏郷でした。
土地の名をそれまでの
「黒川」から
「若松」へと改め、
鶴ヶ城を建築、城下町の整備を行いました。商業を奨励し、会津名物の
「赤べこ」や
「起き上がりこぼし」も氏郷が広めたと云われています。生活が苦しい下級武士が内職として作っていたそうですよ。
こちらの墓は京都大徳寺の本墓から分骨したものと伝えられ、どっしりとした五輪塔には空風火水地の五文字が刻まれています。
また、墓前には辞世の句を刻んだ石碑も立っています。
限りあれば 吹かねど花は散るものを 心短き 春の山風
正子先生はこの句が大好きだそうです。
清廉な人柄の氏郷にふわさしい、清々しい雰囲気のお墓でした。
我々は決して負けない!! All Men Are Brothers 梁山泊一同
被害に遇われた皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。被災地の復興をお祈り致します。
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