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2014年 01月 08日
鬼礬楼の鬼(二)
                  (二)

 客は、“上”では名の知れた侠客だという触れ込みだった。金持ちを何人殺したとか、どこそこの大臣の屋敷に不義の財を盗みに入ったとか、“下”ではありふれた“箔”を、雄鶏のとさかのように振りかざしていた。
「まったく上の世界は糞の山だ。馬鹿野郎が金を稼ぎ、能無しが大臣の椅子にそっくり返っている。まともな奴は一人だっていやしねぇ。地べたに這いつくばった乞食だの、頭を下げるしか芸のねぇ意気地なしだの……あんなところで、よく生きていたもんだ」
“こっち”に来てせいせいする──と、その“侠客”は浴びるように酒を呷った。誰も相手にする者はいなかった。
 男はさんざん“上”に悪態をつき、その種も尽きると、料理に文句をつけはじめた。“鬼”が作った水煮肉が、辛すぎると怒り始めたのだ。
 料理人を出せと騒ぐので、仕方なく“鬼”が出ていった。“師傅”は仕入れに行っていなかった。
“侠客”は泡を飛ばして罵ったが、“鬼”は口がきけないから、ただ黙って突っ立っていた。“侠客”ますます怒って、喚きながら皿を床にたたき落とした。
「こんな糞のようなものが食えるか!」
“師傅”が帰ってきたのは、その時だった。
“師傅”は真っ直ぐに厨房に入り、壁にかかったあの錆び包丁を持って戻ってきた。それを無言で“侠客”の卓に叩き込んだ。
“老板”は家具にも凝るから、欅製のしっかりした卓だった。それが、ぱっくりと二つに裂けた。
「こいつが何人の血を吸ったか知りたいか?」
 ぽかんとする“侠客”に、“師傅”は、ひどく落ち着いた声で言った。
「うちの料理に文句をつけるとは、結構な舌をお持ちだ。そいつで汁を作ったら、さぞ旨かろう」
 いつも怒鳴り散らしている“師傅”が、そんな静かな声で話すのを、“鬼”は初めて耳にした。
“侠客”は、網にすくわれた鯉のように口を二三度ぱくぱくとして、そそくさと店を出て行った。客は、誰ひとり気にしもしていなかった。ただ、耳障りな芝居が無事に終って、めでたしめでたし──という顔だった。
“鬼”は、師傅は親切だなと思った。
“師傅”はあの客を殺してもよかったのだ。
“無憂洞”の掟はひとつ。自分のことは、どれだけ嘘で飾りたて、法螺をふいて自慢しても構わない。しかし、他人の“自慢”にケチをつけるのだけは御法度だ。
 それなのに、“師傅”は“侠客”を見逃してやった。同時に、自分の料理に──自分の弟子の料理にケチをつけるような奴は、殺す価値もない馬鹿だと、そう示した。
“無憂洞”では、殺されるより、殺されない方が不名誉な時もあるからだ。
“鬼”がそんな事を考えていると、“師傅”は拳を振り上げた。
「さっさと床を掃除しろ!」
“鬼”は、“師傅”が別に好きではなかったが、そういうところは、嫌いではなかった。
 事件といえば、そんなものだ。
 鬼礬楼に来て、十年以上。厨房だけが“鬼”の世界であり、料理だけが日常だった。
 心を動かされることは何もなかった。毎日、来ては帰っていく客は、愉快な客にしろ、不愉快な客にしろ、“鬼”にとっては“黒河”を流れていく芥のようなものだった。
 ただ一人、“詩人”を除いて。
 そもそも“詩人”は毎日のように店には来るが、“客”ではなかった。なぜなら、金を払わない。
 ごま塩の髪もまばらな老いた詩人は、洗い晒しの布衣をまとった背中をまるめ、杖をつきながらゆっくりと店に入ってくる。決まって看板間近の明け方だ。いつもの一階の隅に座ると、片目の給仕が“師傅”の言いつけで銚子を一本つけてやる。
 ゆるりと温めた酒を、詩人はいかにも旨そうに呑む。
 一文で買える塩豆さえ頼まず、酒だけを満足そうに嘗めている。
 やがて微醺を発すると、詩人は鳩のような声で低く呟く。“鬼”には意味のわからない言葉──それは、“詩”だ。
 意味のありそうで、よく分からない詩を読むので、老人を占い師のように思っている者たちもいた。詩人が呟いた言葉や、書き散らした詩の言葉で、はっと迷いが晴れたり、商売がうまくいったりするのだという。
 だから、詩人が店にくると、たいてどこからか塩豆の皿が届いた。ありがたいご利益があれば、肉や魚がつくこともある。
 あいにく何もない時は、“鬼”が料理を取り分けて、詩人の卓に置いてやる。詩人は特に礼は言わない。ただ、哀しげな目をわずかに細める。
 そして、いつかお前のために詩を作ってやるからな──と呟くだけだ。
 しかし、“鬼”が鬼礬楼に来て十年たっても、詩人はまだ“鬼”の詩を作ってくれない。

 その日、五毒皇后は機嫌がよかった。“詩人”に酒と料理をおごり、自分も向かいの席に座った。
 五毒皇后は、おそろしく美しい女だが、紅の衣の高官ばかり二十六人も殺したという噂だった。無憂洞の売春宿の元締めで、この世界の男たちが稼ぎだす金の大半は、皇后のもとに流れ込んでいくと云われている。いつもは着飾った芸妓たちを女官のように引き連れているが、鬼礬楼に来る時だけは一人だった。
 男たちは五毒皇后を恐れていたが、“鬼”は恐れてはいなかった。野菜彫りを覚えたはじめた子供の頃、百合の簪を見せてくれたし、錦の裳の牡丹柄を足元に座り込んで見入っていても怒らなかった。“師傅”が“鬼”を厨房に連れ戻さなかったら、裳の中にまで潜り込んでいたかもしれない。師傅はあきれて、“鬼”を殴った。
「人間なら、相手が天子でも容赦しない女だぞ。しかし、まあ、犬猫や金魚なんぞには、妙に情をかけるところがあるからな……」
 あるいは“鬼”も、そっちの仲間だと思っていたのだろう。
「──ほんとうにねぇ」
 五毒皇后は器から水晶海老をすくいあげては、紅を塗った爪先でぱちぱちと殻を割り、詩人の小皿に置いてやった。
「宝の山と思ったら、とんでもないゴミタメだったのさ」
「いやいや」
 透き通った玻璃の杯で、“詩人”は五毒皇后に一杯の酒を献じた。
「ゴミタメに咲く花のほか、見るべき花のあるやらん」

 その日は、下働きの“老不死”が腰を痛めて休んでいたので、“鬼”が厨房の後を片づけ、籠に入れた残飯を“黒河”まで捨てにいった。
 鬼礬楼のごみ捨て場は、店の裏、無憂洞を貫くように流れる下水、“黒河”のほとりに作られている。囲いもないところに捨てるだけだが、よそに比べればきれいなものだ。捨てるはしから、鼠や野良犬、死にかけた病人や、無憂洞でさえ食えない連中が集まって、争いあうように漁り食いしていくからだ。
 残ったものは、まとめて“黒河”に掃き落す。たまに野良犬と骨でも取り合って負けたのか、人が死んでいることがあるが、それも落す。
“黒河”は何もかも飲み込んで、ゆるゆると地の果てへと流れていく。
 無憂洞は、この河の両岸を中心に作られている。向こう岸の“街”に点々とともった灯が、ひとつふたつと消えていくのを、“鬼”はしばらく眺めていた。
 こちらの岸でも、街の灯がひとつずつ消えていく。
 地上に朝が訪れるころ、無憂洞には夜が来るのだ。
 そろそろ帰ろうとして、“鬼”は足元に花が落ちているのに気がついた。小さな白い花だった。捨てられた造花か、野菜の彫刻花だと思ったが、それは葉を広げ、茎を伸ばし、地面から頭をもたげていた。
“鬼”はぎょっとした。
 盆栽のようなものは鬼礬楼にも飾ってあるし、絵で見て花が“地面”から生えることは知っていた。しかし、実際に根を張って生きている花を見たのは初めてだった。

 翌日も、“鬼”は自分で残飯を捨てに行った。
 花はあまり元気がなかった。しゃがみこんで眺めていると、頭上から声が聞こえた。
「花には光が必要だ」
“詩人”だった。いつもの哀しげな目で“鬼”を見下ろしていた。
“鬼”はすぐに店に戻り、蝋燭を持ってきて花のそばに立ててやった。“詩人”の目が、さっきより、もっと哀しげになった。
「そんなものは役には立たん。本物の光でなければ」
“詩人”には、言葉がなくても“鬼”の心が分かるようだった。“詩人”は静かに頭を振った。
「哀れまむ──無憂洞にてあろうべきかな」
“詩人”は杖をつきながら、どこかのねぐらへ帰っていた。

“鬼”が厨房に戻ると、火の落ちかけた竈の前で、“師傅”が酒を呑んでいた。
「片づけもせず、どこをうろついていやがった!」
 いつものように怒鳴りつけたが、機嫌がよかった。残り火に照らされた顔が、こんがりと焼けた子豚のようだった。
「お前は見どころがある。俺が死んだら、お前が“師傅”と呼ばれることになる」
“鬼”は“師傅”に豚の脂身を肴に出し、厨房の奥にある寝床の中に這いこんだ。
 人一人がようやくもぐり込める穴蔵は、布団があるだけの“鬼の巣”だ。壁に穿たれた穴には、ちびた蝋燭が一本灯って、巣の中はぼんやりと暖かい。壁には、“鬼”が屑物の中から拾ってきたり、ある時は盗んできた花の絵や刺繍の切れ端、造花や彫刻が隙間なく張り付けられていた。
 蝋燭が消え、無憂洞に短い“夜”がやってくる。
 その夜は、妙に色鮮やかな、意味の分からない夢を見た。哀しい夢で、夢を見ては目覚め、また夢を見た。
 おかげで寝坊し、あわてて厨房に駆け込むと、片目の給仕が、昨夜、“詩人”が“黒河”に落ちて死んだことを教えてくれた。

 その日は、“百首門”の宴会が入っていた。
“鬼”は、いつもより早く寝床を抜け出し、包丁を手に、“黒河”のほとりにある柵へ向かった。柵の中には、鶏がたくさん入れられている。
 鬼礬楼では、牛や豚、羊といった大きな肉は“上”から仕入れる。しかし、鶏や兎のような小さなものは生きたまま仕入れ、この柵で“出番”を待たせている。
“鬼”は屠殺の名人だった。
 その技を、特に念入りに“師傅”から叩き込まれた。どうせ殺して食うにしても、一発で苦しませずに殺してやれ──それが“師傅”の教えである。
 だから、もし本当に“師傅”が礬楼の美妓を殺したとしても、女は苦しまずに死んだだろう。それとも、女があまりに苦しんだので、そう思うようになったのだろうか。
 いずれにしろ、“鬼”の研ぎ澄まされた包丁は、次々に鶏の首を落していった。
 何も知らずに餌をついばんでいる鶏に包丁をさっと振り下ろす。鶏は、走ってぱたりと倒れる。大きな籠に胴体を、小さな笊には首を投げ込んでいく。
 中の一羽が、柵から首を突き出していた。あの花を突つこうと、嘴をせいいっぱい伸ばしている。“鬼”があわてて包丁を投げると、胴体は倒れ、首は嘴を伸ばしたまま、柵の外にぽとりと落ちた。
“鬼”は、花の無事を確かめようとした。
 小さな白い花に伸ばした指が、血で真っ赤に濡れていた。鶏から流れ出た血が河となり、花の方へと流れていた。
 その時、無憂洞のどんな腐臭にも慣れた“鬼”の鼻に、生臭さが襲いかかった。吐き気を感じて、“鬼”はその場に立ちすくんだ。
 足もとに、何も知らない鶏どもが群がっている。
 血の河のほとりで、花は白く輝いている。
 檻の中で、血にまみれ、“鬼”は、しばらく呆然と佇んでいた。
 花は、本当に白く輝いていた。
 闇の中に、小さな花だけが淡く浮かび上がっている。
“鬼”は、頭上に広がる底無しの闇を見上げた。
 花が光っているのではなかった。
 なにも見えぬ闇の彼方から、白く薄い紗の帯のようなものが、音もなく降ってくる。手を伸ばしても感触はなく、熱もなく、本当にあるのかどうかもわからない。
 しかし、確かに、“それ”はあった。
 それは──真っ暗な“天”のどこかから音もなく射す、一条の細い光だった。

     明日の第三回に続く…。

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by suiko108blog | 2014-01-08 00:00 | 絵巻水滸伝・外伝 | Comments(0)


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