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2014年 01月 07日
鬼礬楼の鬼(一)
鬼礬楼の鬼

 闇の底で鬼が哭いていた。
 声もなく、無数の鬼がのたうっていた。
 しかし、耳を傾ける者はなく、一瞥を向ける者もいなかった。
 地獄では、鬼も、鬼の慟哭も、何ら珍しいものではない。
 千億の鬼の慟哭よりも、ひそやかに咲く一輪の野花の方が、たじろぐほど珍しく──恐ろしいのだ。

                  (一)

 暗闇は、地獄のように熱かった。
 ごうごうと音を立てて竈が燃え、吹雪のように茜色の火花が散っていた。その業火が、洞窟よりも暗いこの場所に、僅かな光をもたらしていた。
 光もまた、地獄のように熱かった。
 煮えたぎる油の中に、鱗を剥がれた巨大な魚が投げ込まれ、隣では、分厚い脂がのった豚肉が醤油の中でてらてらと煮えている。
 奥の窯では、何匹もの家鴨が絞首刑になった罪人のように首から吊るされ焼かれていた。
 影絵のような料理人が包丁を片手に蠢き、幽霊のような給仕たちが無言で行き交う。家鴨を焼く竈の横には、この店の料理長である“師傅”が愛用の竹椅子に腰掛けていた。
 最も上等の豚よりも、肥満した男である。小柄だが、からだ全体についた脂肪のためか、少しも小柄という感じはしなかった。
 時刻は、店が繁盛しはじめる頃合いである。
“師傅”は家鴨の焼き加減を確かめると、片足をひきずりながら洞窟のような厨房を出て行った。出た先も、また隧道のような廊下である。レンガや材木、岩や得体のしれない廃材を積み上げてできた廊下を、“師傅”はゆっくりと通っていった。やがて、廊下は真っ黒な流れをまたぐ橋になり、橋を渡ると、あたりが急に明るくなった。
 橋の先には、巨大な洞窟を支えるように、一軒の楼閣がそびえている。
 朱や金で塗られた欄干、青や黄色の瓦屋根、花飾りや提灯、灯籠、あらゆるもので飾りたてられた、華麗にして歪な大酒楼である。
 入り口には、黒字に黒漆で店の名が記されていた。
『鬼礬楼』
 この楼閣こそ、地獄の苦海に咲き出でた、最も毒々しい蓮華であった。

 宋国の都・東京開封の地下深くには、広大な暗渠が隠されている。
 繁栄を極める地上の都から、その栄華にふさわしからざるものたちが流れ込んでくる場所である。汚水、汚物、塵芥、死骸──死骸は動物もあれば、人間のものもある。人間は、生きたものも毎日のように流れ込んでくる。人殺し、盗賊、物乞い、攫われた女や子供、借金やいざこざから逃げて来た者。いずれも名を持たず、過去も持たない。
 人は、この地下の世界を、『無憂洞』と呼んでいる。誰が呼び始めたのか、冗談か、諧謔か、 嘲笑か、あるい本心だったのかは分からない。
 ともあれ、たとえ憂いはないにしても、住人も人であるから、食わねばならない。
 商売は盛んだ。地上では夜しか立たぬ鬼市が終日にぎわい、盗品や武器、毒、人間、あらゆる物を売っている。料理屋、酒楼も軒を並べて、あらゆる珍味、得体の知れない料理の皿を出している。
 その中でも、一番の格式を誇る料亭が、この“鬼礬樊”なのである。
 天子も通うという地上の“礬楼”と同じ三層の高楼は、足元の地獄を見下ろし、その屋根は暗闇に消えていた。
 もっとも、“鬼礬楼”の名は伊達ではない。
 厨房を仕切る“師傅”は、上の“礬楼”で包丁を握っていた男だから、味は確かだ。材料もいい。すべて極上の盗品だ。大臣の屋敷や、皇族の別宅、時には宮城からも盗んでくる。地下の下水は、蟻の巣のように東京中に張りめぐらされているから、出入りの“卸し業者”に頼めば、いつでも、どこからでも自由自在に“仕入れ”ができるのだ。

“師傅”は、賑わう店の階段を登っていった。
 地上の店なら、高層階こそ値が張るが、地下では一層こそ上等である。暗闇に棲む者たちは、地上に近づくことを恐れ、忌む。今日の上客は、“乞食大将”、“百人殺し”、“五毒皇后”、下客は有象無象の者たちだ。宴会場は“没面盗行”の総会で、覆面をかぶった連中が賑やかに乾杯するさまは芝居のようだ。
 階段を登る“師傅”の足音は、葱を刻む音に似ていた。
 階段を登りきった三層の上にも、小部屋がある。“師傅”は隠し階段を使い、その最上階まで登っていった。
「店が立て込んできましたんで……そろそろ“鬼”を戻していただけませんか」
“師傅”は遠慮がちに扉を叩いた。
「──もう少し待ちなさい」
 閉じられた扉の向こうから、声が応えた。
「最後の仕上げだ」

“無憂洞”では、より多くの人を殺したか、より多くの財を盗んだ者こそ“英雄”だ。しかし、どんな客も、鬼礬楼の“老板”より多くの人を殺し、財を盗んだ者はあるまい──そう囁かれていた。
 この部屋に起居しているのが、その英雄“老板”である。
 部屋一杯に並べられた食卓には、あらゆる料理が所狭しと並べられていた。東京中の料理屋の菜譜を出現させたようだった。野菜と大蒜を炒めただけの素朴な家庭料理から、豪勢な子豚の丸焼き、西北の粉物、南方の海鮮、四川の辛味料理から、広東の甘味料理。蛇や虫の珍しい料理もあった。
 揚げ物から香ばしい香りが立ち上り、汁からは湯気がたなびいている。酒の燗もつき、菓子や果物も器に積み上げられている。椅子が並び、茶碗、箸、小皿に酒器が添えられて、足りないものはなにもない。
 しかし、“客”は一人もいなかった。
 これは“忌辰宴”なのだ。命日に故人の好物を並べ、死者を弔う。
“老板”は官服を身につけ、主人の席に座っている。冠の下の顔は柔和である。眉と髪もすっかり白い。黒檀の椅子に置物のように端座している。しかし、不思議と老いたという雰囲気はなかった。
 部屋には、もうひとり“鬼”がいた。
 これだけの料理を一人で作り、いま、最後の仕上げとして料理に飾る野菜の花を彫っている料理人である。
 鬼礬楼の“師傅”の一番弟子──“鬼”は陰気な目を伏せて、無心に包丁を操っている。顔色は悪く、表情もない。年齢はまだ若かったが、年老いた“老板”よりも、生きているという感じがしなかった。
 しかし、その包丁の先から次々に創り出される花は、精巧で、生き生きとしており、本物の花のようだった。
 何もかも揃っているこの闇の世界に、ただひとつ足りないものが、本物の花である。透き通るように薄い花弁、瑞々しい葉は、夢の中にしかないものだ。それを、“鬼”は包丁一本で作りだす。
“師傅”は、瓜と赤蕪で作られた見事な花々を指先でつまみ、五彩涼皮の盆に置いた。
「見たこともねえくせに、よく作る」
 この技を教えたのは“師傅”だ。しかし、いまは“鬼”の作る花の方が上等だ。“師傅”は記憶を頼りに作ったが、“鬼”は鬼礬楼のあちこちに飾られている絵や造花を見て研究し、種類も多いし、まったく、本物よりも本物のようだった。

 最後に彫りあげた大根の牡丹を肉料理の皿に置き、“鬼”は“老板”に目礼した。
 これで料理は完成だ。
“老板”は頷き、“師傅”に向かって、指先を軽くもたげた。去れ──の合図だ。一人の客も迎えぬままに、扉が閉じた。
 これから、“老板”と死者たちとの宴会が始まるのである。

 今日は、“老板”の同志たちの命日だった。
“無憂洞”の星の数ほどいる人殺しの中でも、“老板”ほど大勢殺したものはあるまい。槍も刀も毒も使わずに殺し、“老板”自身、その数を知らないほどだ。
 死刑場で、戦場で、牢で、街路で、誰にも知られぬどこかの闇で、“老板”の若い同志たちは殺された。天子を殺し、国を奪おうとした──と、聞いていたが、“鬼”には、国というものが分からない。
 彼の世界は、この“無憂洞”だけだからだ。
 こんな地獄が欲しい者など、いるものだろうか。“鬼”には不思議でたまらない。
 手に入れて、どうするというのだろう。“鬼”にはまったく分からない。
“鬼”の記憶は“無憂洞”の闇で始まり、“鬼礬楼”以外の世界を知らない。親もなく、家もなく、いつの間にか“鬼”と呼ばれ、それが名だ。
 石段の前でぼんやりと立っていたような記憶があるが、夢かもしれない。見知らぬ女が、なにか赤い花のようなものを持って手招きして──それもまた、夢かもしれない。
 はっきりした最初の記憶は、“人肉市”だ。地下倉に大きな檻がいくつも並び、中には子供がたくさん入れられていた。
 別の檻には赤ん坊がぎっしり詰められ、泣いていた。
 地下倉には、時々、大人がやって来て、子供たちを選び、一人二人と連れて行った。夫婦もいれば、恐ろしい顔をした大男もいた。主な客は転売屋の老婆たちだった。
 やがて、客足が落ち着いて、檻には売れ残りの子供ばかりが残された。顔だちのよい赤ん坊、聞き分けのよさそうな幼児から売れていき、残ったのは、五、六歳を過ぎた、特に目立ったところのない平凡な子か、扱いにくい“元気”な少年たちだった。
 ある日、片頬に瘤のある売人が、せむしの手下を呼びつけた。
「売れ残りを、まとめて“要飯王”に叩き売れ!」
“要飯王”とは乞食頭だ。無憂洞から“上”の世界に稼ぎに行く、無憂洞の稼ぎ頭だ。
 その日は、珍しくご馳走だった。堅い饅頭か、薄い粥ばかりだったのが、蒸したての大きな包子が出た。
 腹をすかしていた子供たちは、熱々の包子をいくつも口におしこんだ。喜んで一口かむと、中から煮えたぎる油の汁が溢れ出て、穴蔵に悲鳴が響いた。
 それきり、泣き声さえでなくなった。
 売人は、鼻で笑った。
「お前たち。逃げたり、人に助けを求めたりは御法度だぞ。逃げれば足を折られるし、怠ければ目を潰される。脅しじゃねぇぞ」

“鬼”は痛みに疲れ果て、檻に敷かれた腐った藁の上に横たわっていた。そこに、最後の客がやってきた。大きな声の男だった。
「くそっ、せっかく仕込んだ小僧に死なれた。骨のありそうな奴はいないか」
 さかんに文句を言いながら、次々と檻を覗いていった。太った猪首の男だったが、動きはやけに機敏だった。
「ろくなのが残っていねぇ。死んだ魚より生きが悪いぞ」
 売人は、もう商売する気もないようだった。
「来るのが遅かったんだよ、次の“仕入れ”は来月だ」
「こいつはいくらだ」
 思わず目を上げた“鬼”と、立ち止まった客の目があった。
 売人が大儀そうにやって来た。
「もう“湯包包”をやっちまった。店じゃ使い物にならねぇよ」
「いい塩梅だ」
 客は懐から財布を出した。
「俺は無口なガキが好きなんだ」
 それが、鬼礬樊の“師傅”だった。


 その日から“鬼”は厨房に閉じ込められ、雑用から始め、野菜の洗い方、鍋の磨き方、包丁の握り方を教えられ、十年かけてあらゆる料理を叩き込まれた。裏に残飯を捨てにいく以外、厨房から出ることは全くなかった。
 その厨房の漕げた壁には、一本の錆び包丁が架かっていた。“鬼”がある時、研ごうとしたら、骨が砕けるほど殴られた。
 後で、下働きの“老不死”が、“師傅”が昔に礬楼で使っていた包丁だと教えてくれた。この包丁で礬楼一の美妓の首を落したとか、それをばらばらにして、料理して、間男に食わせたという噂もあるという。
「あの人は、なんだって“料理”しちまうからな」
“老不死”はそんなことを言ったが、“鬼”知る限り、“師傅”が料理するのは、まっとうな肉だけだった。
 鬼礬楼の厨房では、どんなに仕入れがきつい時でも、“両脚羊”は使わない。また、豚に人の乳を飲ませたり、家鴨を生きたまま焼くような調理法も、外道として禁じられていた。
 どちらも鬼礬楼の主人──“老板”の意向である。

 鬼礬楼での毎日は、料理を作るか、殴られるかしかなかったが、逃げようとは考えなかった。“無憂洞”以外に世界はないのだ。
“上”という世界があるらしかったが、どこにあるかは分からない。そこがいいとも思えなかった。絵でみると綺麗な所らしいが、“師傅”や“老板”、客達の話を聞くかぎり、美しいのは上辺だけ、“無憂洞”よりずっと恐ろしい場所だった。
 それなのに、彼らが懐かしげな、誇らしげな、憧れるような顔つきや声で話すのが、“鬼”には不思議でならなかった。
 殴られながら、一通りの料理を覚えた頃、鬼礬楼に、新顔の客がやって来た。

     明日の第二回に続く…。

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by suiko108blog | 2014-01-07 00:00 | 絵巻水滸伝・外伝 | Comments(0)


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