常山に儚く散った、悲運の姫武将
女軍を率いて毛利と戦う
備中の覇者、三村家親の娘にして、備前国常山城主、上月隆徳の妻。
常山の鶴姫(続き)
松山城落城により、毛利軍の標的は、鶴姫の住む常山城に絞られました。
六月になると、常山城は毛利軍によって包囲され、孤立無援の戦いを強いられることになります。城主の上月隆徳は家臣や幼い息子たちとともに奮戦し、本丸近くまで攻め寄せた毛利軍を一度は押し返します。
しかし、毛利軍の兵力は圧倒的で、頼りにしていた四国からの援軍も来ることはありませんでした。
隆徳はついに覚悟を決め、城内で別れの宴を催すと、六月七日朝、最後の戦いに赴きます。
この時、鶴姫もまた甲冑を身につけ、父の形見の二尺九寸の国平が鍛えた太刀を佩き、白柄の長刀をとって打ち出します。
「寄せ手は兄の敵なれば、これを討たずして、やみやみと自害するは口惜しき事なり」
鎧の上に紅の薄衣をひるがえし、凛々しく武装した鶴姫の後ろには、三十四人の侍女たちも武器を握って従いました。
鶴姫は颯爽と毛利軍に斬り込むと、五人を倒し、七人に手傷を負わせます。しかし、衆寡敵せず、侍女たちは次々に討ち取られてゆき、鶴姫もいくつもの傷を負います。
「もはやこれまで」
最期を悟った鶴姫は、敵中に浦(乃美)宗勝の姿を見つけ、声をかけます。宗勝は小早川水軍を率いる武将で、たいへん武名の高い人物でした。
鶴姫は三村家の家宝である国平の太刀を差し出すと、
「この太刀も、もはや入用なし。さしあげるゆえ、我らが後世を弔いたまえ」
そう言い残し、隆徳とともに城内に戻り、自害しました。鶴姫に続いて、上月家の人々もことごとく命を断ち、この日、常山城は落城しました。
美しい常山を舞台に繰り広げられたこの常山合戦は、「常山女軍の戦い」として、今も広く世に語り継がれています。
(『備前軍記』より)
「児島富士」常山(標高307m)
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お問い合わせ 0863-31-6131
我々は決して負けない!! All Men Are Brothers 梁山泊一同
被害に遇われた皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。被災地の復興をお祈り致します。
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