今回の展示会のために描き下した
「常山の鶴姫」。
実は地元でも知名度はいまひとつ……細々と供養祭りが行われていたくらいでした。
そのお祭りも、現在は山に登る車道が崖崩れで不通のため中止とのこと。
今や
「鶴姫」といえば、瀬戸内海の
大三島の鶴姫の方が有名ですが、こちらが伝承的な存在なのに対して、
常山の鶴姫は実在の人物であり、実際に武器をとって戦った女武士なのです。
というわけで、
suiko108的鶴姫押しキャンペーン!
まずは
「備前軍記」から、鶴姫の物語をご紹介していきます。
常山に儚く散った、悲運の姫武将
女軍を率いて毛利と戦う
常山の鶴姫
鶴姫は備中松山城(高梁城)の城主、三村家親の長女として生まれました。
家親は、武勇をもって知られた武将です。娘の鶴姫にも、幼い頃から太刀や長刀、騎馬などの武芸を身に付けさせ、やがて勇敢な少女に成長すると、瀬戸内海に臨む備前の要害、常山城の城主、上月隆徳のもとへ嫁がせました。
隆徳も武勇にすぐれた武将で、二人の仲は睦まじく、二人の男の子をもうけます。しかし、平穏な時は長くは続きませんでした。
永禄九年(1566)、三村氏の勢力拡大を恐れた宇喜多直家が送った刺客により、鶴姫の父の家親が暗殺されてしまうのです。跡を継いだ兄の元親も、翌年の明禅寺合戦で敗退し、以後、宇喜多氏と三村氏は不倶戴天の敵となります。
そのため、天正元年(1573年)。西方諸国に勢力を伸ばそうとする織田信長に対抗するため、それまで抗争を繰り返していた宇喜多氏と毛利氏が和睦すると、三村一族は毛利氏の傘下を離れ、織田信長に味方することを決意します。
三村氏の離反は、信長に備える毛利氏にとって大きな驚異となりました。
天正二年(1574年)末、毛利元就の子である小早川隆景が、数万の大軍を率いて三村氏討伐のため備中へと侵攻します。
毛利軍は次々と三村氏側の城を攻め落とし、天正三年(1575年)三月には元親の松山城が包囲されます。
要害堅固な松山城は二カ月を持ちこたえますが、毛利軍の圧倒的な兵力の前に力尽き、ついに落城、城主の元親も自刃します。 (……続く)
岡山県玉野市での
「正子公也武将画展~常山の鶴姫と岡山ゆかりの戦国武将たち」、好評開催中です!
会期は
5月末日まで。ぜひご訪問ください。
会場は、岡山駅からJR宇野線で約45分 - 宇野駅- 徒歩約15分
ショッピングモール メルカ2階
「たまののミュージアム」
↓
http://tamanokankou.com/kankou/tamanono_museum/
時間 10:00~19:00(水曜休み)
入場料 無料
お問い合わせ 0863-31-6131
我々は決して負けない!! All Men Are Brothers 梁山泊一同
被害に遇われた皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。被災地の復興をお祈り致します。
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