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2009年 10月 30日
★梁山泊の108人 其之七十
★金銭糧食を司る頭領
おもに梁山泊の軍事を扱う聚義庁首脳部とは別に、後方支援を担当する好漢たちのリーダーです。
梁山泊には沢山の住民が住んでいます。彼らの衣食住をまかない、そして、戦となれば数万の兵士のための兵站を輸送しなければなりません。梁山泊が年間、どれくらいの予算を必要とするか……おそらくたいへんな金額になるでしょう。それを管理するのが彼らの仕事です。柴進は外交交渉や“鶏狗”を使った情報収集や輸送路の確保、李応は全国にある“店”の管理運営も行っています。平時も働き、戦時にはさらに忙しくなる激務です。

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10★天貴星“小旋風”柴進
(てんきせい しょうせんぷう さいしん)




あだ名は“小旋風”──「小さなつむじ風」。宋に禅譲した後周世宗の嫡流の子孫で、柴大官人とも尊称される滄州の大富豪である。流罪人や好漢の世話をするのを好み、常に多くの食客を抱えていた。客を好む柴進は戦国時代の孟嘗君にも例えられ、冤罪により滄州流刑となった“豹子頭”林冲のほか、梁山泊初代首領の王倫や“及時雨”宋江、宋清兄弟、“行者”武松、“石将軍”石勇など、世話になった者は数多い。しかし、やがて高唐州に住む叔父の横死から災いに巻き込まれ、梁山泊を巻き込んだ高唐州戦が勃発。柴進も梁山泊の一員となる。
柴進の鷹揚な大人の風格、端麗な容貌と爽やかな弁舌は、梁山泊随一のものである。そのため、梁山泊では外交方面で活躍することが多く、北京に潜入して蔡福・蔡慶兄弟と接触したり、東京の元宵節では禁中にまで紛れ込む。大胆なだけでなく、宮中にいても怪しまれない高貴さが貴公子・柴進の凄さであろう。
なお、後周国の皇帝であった世宗は、名を柴栄と云い、軍事、内政ともに非凡な力量を持ち、唐末から続いた乱世を半ばまで平定した。しかし、惜しくも覇業の途上で病に倒れ、三十八歳の若さで夭折する。後周が築いた基盤をそのまま引き継いで建国されたのが、宋なのである。


「絵巻水滸伝」(第二部)連載中! キノトロープ/絵巻水滸伝

by suiko108blog | 2009-10-30 02:32 | 絵巻水滸伝人物名鑑【梁山泊】 | Comments(0)


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