『張順の物語』(其の三)
決死隊は火箭や弩で元軍の攻撃を防ぎ、また河面にめぐらされた鎖を断ち切りながら、ひたすら襄陽を目指して河を下った。
その中で、張順が体に四槍六箭を受けて戦死。流れに沈んだ。
果てしなく思われる戦いのすえ、波の彼方に襄陽の城壁が見えたのは、すでに夜が明けようとする頃だった。
翌日未明、張貴は生き残った男たちを率いて、襄陽の城下に至った。長く補給を受けていなかった城内の軍民の歓呼の中を、入城した。
数日後、戦死した張順の遺体が川面に浮かび、襄陽に流れ着いた。その顔色はまるで生きているかのようで、人々は涙を禁じえなかったという。呂文煥(注;襄陽の守将)は張順の遺体を清めさせ、塚を築き、廟を建てて祀った。
張貴は、再び出撃しようとしたが、呂文煥に止められ、そのまま襄陽に止まった。しかし、九月に入ると、張貴はテイ州に戻ろうと考え始めた。
彼らが入城して以来、元軍の包囲はますます厳重になっている。張貴は数日も水中に潜っていることのできる男を選んで蝋に封じた密書を持たせ、テイ州の范文虎に敵を挟撃するべく援軍の出兵を要請した。
張貴らは闇に紛れて襄陽を出ると、敵の真っ只中に漕ぎ出した。
モンゴル軍は、その暴挙に驚き、たじろいだ。
すぐにアジュ(注;元軍の将)と劉整(注;元に降った元南宋の将)が邀撃に出た。
張貴は漢水の流れにそって下り、小新城で元の大軍と衝突した。沿岸にはかがり火がずらりと灯され、辺りは真昼のように明るかった。戦いながら竜尾州まで進んだ時、張貴は彼方に一群の戦艦を見つけた。
援軍だ、と花火を上げて合図した。
しかし、それも敵だった。
頼みとする援軍は、一旦は出撃したものの、怖じ気づき、遙か彼方に後退していた。
命懸けで襄陽に補給を行った彼らは、臆病者の范文虎に裏切られ、見殺しにされたのだった。
張貴の軍は、奮戦むなしく全滅した。
張貴は身体中に数十創を受けて捕らえられ、降伏を迫られた。
それを頑にこばみ、張貴は殺され、その遺体は襄陽へと送られた。
「“矮張”を知っているか? これがそうだ!!」
使者が示した遺体を見て、襄陽を人々はみな哭いた。
呂文煥は使者を斬り、張貴を張順の廟に合葬した。
孤立した襄陽にとって、二人の張の活躍は、希望の象徴だった。その二人の死に、城内には急速に絶望の気配が深まっていった──。
南宋が滅びるのは、それから四年後のことです。
実在の張順については、これ以上のことは分かりません。
しかし、国家の存亡をかけて戦った多くの“水の申し子”たち、歴史の一頁を“波間の白魚”のごとく駆け抜けていった男たちの記憶は、張順、そして張横に託されて、永遠の命を得たのです。
※テイ州のテイは【呈+おおざと】です。
森下翠・著『元宋興亡史』(学研M文庫)より抜粋
絵巻水滸伝(第5巻)