今日は新暦の七夕です。旧暦ではまだ五月中旬なので、梅雨と重なり、なかなか星空が見られないのが残念ですね。
水滸伝の舞台である宋代にも、「七夕」の風習がありました。
綺麗な子供の人形を飾ったり、蝋で作った動物を水に浮かべたり、箱庭を作ったり、蓮の花を買ったり──と、今の日本の七夕とは少し違います。
似ているのは、庭に五彩の棚を作り、そこに季節の供え物や、筆硯、裁縫道具などを飾る風習でしょうか。これは、日本の子供たちが、笹に色紙を飾りつけ、願い事を書いた短冊を吊るすのに通じるものがあります。
筆や硯は男の子たちが詩文の上達を願って、裁縫道具は女の子たちが手芸の上達を願って飾るものだからです。この風習を「乞巧」といいます。
特に女の子は小箱の中に蜘蛛を入れておき、翌日、きれいに巣を作っているかどうかで、裁縫が上達するかどうかを占いました。
水滸伝の印象的なヒロインの一人、“病関索”楊雄の妻であった潘巧雲は、七夕の生まれです。そのために、名前に「巧」の字が付けられたというわけです。しかし、彼女が得意としたのは裁縫ではなく……。
中国では、古来「雲雨」といえば、男女の交わりを暗喩します。ですので、「巧雲」という名前は、たとえば彼女が妓女であったとしても、かなり露骨な名前だといえるでしょう(原典の巧雲は肉屋の娘だし、父親も常識人なのですが……)。
もう一人のヒロインである潘金蓮の「金蓮」も、纏足の雅称なので、かなりセクシャルな名前です。姓が同じ潘というのは、偶然でしょうか。
もし水滸伝をまとめ、彼女たちに名前を与えた作者が同一人物であったとしたら、潘という姓の美女に、なにか特別の思い入れがあったのかもしれませんね。