2014年 06月 19日
『宋江三十六人賛』(9)
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   “病尉遅”孫立


北宋時代、梁山泊に集まった好漢たちの物語は、はじめから今の「水滸伝」の形をとっていたわけではありません。
『宋江三十六人賛』は、『水滸伝』の誕生に先駆けて、南宋時代(1127~1279)に書かれた宋江ら三十六人の仲間を讃える文章です。
もともとは画がついた“画賛”でしたが、画は散逸して、今では文章だけが残っています。

古文ですし、当時の世相を色濃く反映しているので、訳すのは大変に難しいです。
分からない言葉もたくさんありますが、なんとか頑張って読んでいってみましょう。
南宋時代の梁山泊にはどんなメンバーがいたのか、そして、彼らはどのような人物としてイメージされていたのでしょう。

※訳文はあくまで素人の推測・想像ですので、多少とも合っているのかどうか、まったく分かりません。
皆さんのご意見、識者のご教授をお待ちしています!

   “病尉遅”孫立

  尉遅壮士(尉遅壮士)

  以病自名(病を以って自ら名とす)

  端能去病(端して病を去る能えば)

  国功可成(国に功を成す可し)


「尉遅は壮士、病をもって自ら名とす、はたして病を去ることあたえば、国に功を成すべし」


水滸伝では第三十九位、地サツ星である“病尉遅”孫立が登場です。
実は地サツ星から三十六人賛入りしているのは孫立だけ。確かに地サツ星ならぬ実力の持ち主ではありますが、なぜ天コウ星に入れなかったのでしょう……。やっぱり、あの慎重な性格のせいでしょうか。
文章の意味をSUIKO108的に超訳(?)してみると、

「唐代の名将であった尉遅恭は壮士である。孫立はその名に自ら「病」の一字を冠し、“病尉遅”と名乗っている。この“病”の字をとれば、国 に功を立てることもできるだろうに」

※こんな感じでしょうか? この“病”の文字を、「もどき」「まさり」「顔色が黄色い」の、どれに取るかで解釈も違ってきそうですが……。尉遅恭は建国の名将ですから、彼なみの武芸を身につけながら、山賊に身を落としているのを惜しんでいるのでしょうか。あるいは、本人は「まさり」の意味で名乗っているのに、人々はやはり「もどき」だと皮肉っていたのでしょうか。本当に病弱で、「もし健康ならば……」と自他ともに惜しんだ……ということではないで しょうね。
いろいろに解釈できるのが、漢文の面白いところです。
いずれにせよ、「凄いのに、惜しい」というニュアンスが漂う、孫立らしい賛ではないでしょうか。



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  我々は決して負けない!! All Men Are Brothers          梁山泊一同

被害に遇われた皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。被災地の復興をお祈り致します。

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by suiko108blog | 2014-06-19 00:22 | Suiko108 クロニクル | Comments(0)


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